偉人や、事業が成功した人の話を読んで自分もこうなりたいと夢を見過ぎる人がいる。
それとは逆に、自分より不遇な人や劣る人を見て、自分の劣等感を棚上げして安心する人もいる。
他人を見て、憧れたり安心をしたりする人が多いが、
どちらも精神衛生上はいい事かもしれないが、それ以上の意味は無い。
後者は、
例えば自分は成績は上位に離れないが、自分より成績が低い人を見つけて
あいつは自分よりひどいから、まだ自分はマシだと思う気持ちの事。
成功はあまり求められてはいないが、失敗が許されない環境に多く生まれるタイプだ。
人の失敗を見て溜飲を下げれば、ダイレクトに自己嫌悪に陥ることは防げるが、自分の問題点を見えなくさせてしまい。
改善が見込めなくなる。
前者は、意識高い系によくありがちなことなのだけれども、
ジョブズ等の一代で事業を築いた稀有な人間の生き方を読んで、それになろうとするワナビーみたいな人のこと。
それだけならばいいけれど、なぜか選民意識が強化されて大変うざい人間になってしまう。
しかも、肥大化した自意識は成長を妨げてしまう。
この手の人たちの共通点は、「あの人もそうだから(僕達もそうあるべきだ or 僕はまだマシ)」というように人の基準をそのまま自分の基準にしていること。
実際の問題では、自分が成績が良くないことと、他の人の成績は関係ない。
人が不幸だから自分が飯を食えるわけでもなく、ただ溜飲を下げる以外の効果は無い。
ジョブズが若い時にガレージから事業を開始したことと、自分が同じようにベンチャーを始められるかどうかは別のこと。
ジョブズのような尖ったアイディアで時代を突き抜ける実業家はほんのひと握りで、過去に成功した人のようにやったとしても成功するわけではない。
過去に実績を残した人を成功に導いた考え方は正しいが、それが万人に向いている方法かと言えばそうではない。
大切なのは自分で自分のやるべきことを考えるという事。
人は人、自分は自分。
ただし、完全に自分で考えろというわけではなく、
人に起きたことのエッセンスだけを抽出して学習をする必要がある。
人に起きた不幸を分析して、自分がそうならないためにどうするかを調べる。
過去に成功した人たちのいいところだけ集めて試してみる。時には尊敬する偉人とは逆のことをやることになっても固執せず自分の判断でやってみる。
それで成功するかどうかはわからないが、人に判断基準を委ねるよりずっといい。
自分の成功を押し付ける人
以上は個人の問題だから、それはそれでいいのだけれども、
もっとも厄介なのは基準を人に押し付ける人たち。
まずは、過去の成功体験がある上司や先輩などに多くみられるタイプで、
「俺が若い時は〜○○だった。だからお前らも○○のようにしろよ」というやつだ。
肥大がした自意識と、ちょっと役職がついたおかげで、自分が一廉の人間と勘違いするのだろうか。
たとえば、土日も上司に付き合って飲みに行ってゴルフして会社に貢献して仕事を覚えてきたとかそういう時代錯誤の仕事観を押し付けられたとすれば、
今の時代そんなことする奴はいねぇよと思うだろう。
だが、時代錯誤というだけではない。時代だけではなく、人それぞれでも違うわけで
「僕はノマドワークで生計を立ててるんだから、お前らもやってみろ」と今風のことを言われても、おいそれとやってみようと思える人は多くないだろう。
世代が違えば価値観も違うが、同世代だって価値観は違う人が多い。
上の世代から価値観を押し付けられれば、何故か我々若いほうが間違っていると烙印を押されるので表向きは理解しているふうにはしないと後々めんどくさいが、
人に価値観を押し付ける人の話は聞き流しておけばいいし、参考になることがあれば少し使わせてもらおうくらいのスタンスで構わない。
人の失敗を怖がる人
自分より劣っている(と本人は思っている)人を見て安心している人が、人に価値観を押し付けるようなタイプになるとどうなるか。
自分より劣っている(と思っている)人たちがした失敗をしてはならないという価値観を押し付けるようになる。
浪人、留年、内定を取れないなどという事はしてはならない。
しかも、それらをしてしまった人はクズだという侮蔑付きで子どもや後輩を脅してくるわけだ。
レールに乗って生きている人に多いタイプだ。
レールに乗って生きている人は上を見ることは少ないが、脱線した人を見ては生き生きとする。
だが、レールが大切な人は自分の子供がレールから外れることを極度に恐れる。
失敗をしないことに越したことはないが、それをしてしまったからと言って無能というわけではない。
かえって新しい視点を得て違ったことができるかもしれない。
下(と本人が思っている)を見て嗤ったって、恐れたって、貶したって、その行為が成功へ導くわけではない。
また、失敗した時にクズというレッテルが貼られることにより、リカバリすることが難しくなる。
まとめ
具体的な生き方や考え方なんてのは人それぞれで、人が違えば全く意味をなさない。
人それぞれだけれども、使えるところはあるから、抽象してそこだけを使わせてもらうくらいが丁度いい。
本人は真摯なアドバイスなつもりなんだろうけれど、大体自分の価値観を元に話しているのだから偏りが生じている。
人のアドバイスなぞ参考程度でいいのだ。
人はそれぞれ自分の信じる生きる道があるが、それはその人のオーダーメイドの道だ。
その道を他の人の基準で作ってしまっては絶対あとでボロがでる。
生き方に銀の弾丸は無いってわけだ。
もちろん僕の考えもまた他の人たちには参考以上の意味は無い。