苦労自慢やめないか?
自慢をしてなくても、人より苦労していないことに後ろめたさを感じたり、
ちょっと楽にしている人の足を引っ張る行為はもうやめよう。
苦労は報われることはあるだろうけれど、苦労をすること即ち成功の近道というわけではない。
若いうちは苦労をしろというが、それは本質ではない。
苦労を如何に回避するように、計画し物事を進められるかが重要で、
苦労をしたことで何もかもが報われるわけではない。
吉田戦車の名作ギャグマンガの『伝染るんです』で
かわうそ君が働くふりをして、全然楽にならないという遊びをやっていたが、
一般的に苦労をしてきた人の内訳なんて、このかわうそ君の働くふりゴッコと同じで、辛いだけで身に入るものはすくない。
ワタミのコピペでお馴染みの、一週間無茶をして寝ずに働き続けたとして、得られるものは残業代(最悪0円)かやり遂げたという達成感だけ。
その達成感で仕事ができるようになったかと言ってもそれはない。
限界に対して鈍感にはなったかもしれないが、それは得られたスキルではない。
持続可能でないし、何時でもできることでもない。
仕事の総量が変わらず、それにかかる稼働も変わらない。
基礎筋力を付けずに、ただムチを打って故障覚悟でマラソンをしているだけで、全体的な仕事のスキルの底上げになっているわけではない。
何かしらガムシャラに苦労をすることが未だに美徳とされている社会がある。
学校の部活動であったり、仕事であったり、勉強であったりするが、
ただ苦労をしただけで報われるわけないだろう。
苦労が報われる言説に信憑性があるように思えるのは単に生存バイアスがかかっているだけ、
苦労をしても報われなかった人はヒッソリと去っている。
そして、苦労を美徳とする共同体は去る者には冷たい。
『報われなかったから去った』はずが、残っている人は『去ったから報われなかった』と因果を反対に考えるようになる。
苦労を美徳とする社会には、去っていった人を逃げた人と思うところがあると思う。
そして、残っている人たちも苦労を重ねて斃れるまで戦い続ける。
まるでチキンレースのように。
そうやって組織自体がコケるか、最後に残った人たちが苦労時代を自慢していくわけだ。
もう、そういうのはやめて
合理的に苦労を如何に回避できるかを考えて生きようよ。