今はあまりなくなったのかもしれないが、昔は学校は欠席しないことが素晴らしいという考えが多かった。
欠席しなかった人には皆勤賞とか精勤賞など表彰されていたね。
今もあるのかとおもって、画像検索してみたら結構出てくるね。
まだメジャーなものなのだね。
しかし、この考えは結構危なっかしい考えであると思う。
まず、インフルエンザなど感染性の疾病が蔓延する可能性がある。
インフルエンザなどは出席停止になって、通常の学校では通常の欠席とは違い欠席にカウントされないとされているが、
医師の診断書などがなければインフルエンザとは証明されないので、事後報告になる。
だから、欠席を忌避するような考えがあると、発症しはじめても登校する可能性だってある。
最終的に欠席するようになっても、感染の観点から看ればすでに手遅れだ。
感染性だけでなく医師にかからなければわかりにくいような疾病に罹患しることを見逃すことだってある。
皆勤賞は健康であった結果に対して表彰をするが、結果的に病気にかからなかったことだけを表彰するというのは意味がない。
いくら体を鍛えていても、いくら抵抗力を高めていても病気や怪我をすることはあるだろう。
その時に最悪の状態にならないようにすぐに体を休めるようにしなければならないが、皆勤賞という考えはそれを阻害してしまう。
多くの学生は皆勤賞については貰えればラッキーか、それほど嬉しくないと思っている人がほとんどだとおもうが、
中にはクラス全員で皆勤賞を狙おうとか思っている教師もいる。
そうなると、場の空気に負けて体に鞭打って出席することになる。
ソフトウェアのバグに似ている。
ソフトウェア開発においてバグが最終的になくなることが理想であるが、完全になくなるという事はない。
ソフトウェアの試験においてバグが報告されない場合は、試験の方法がおかしいとまずは考える。
ソフトウェアではまずバグが必ずあるというスタンスで行なっているが、もし最初からバグ発生0を目指そうとすれば
バグの報告をあげなくなるだけで、品質が上がるわけではない。むしろ悪化する。
全員で皆勤賞を目指せば、健康になるどころか症状が悪化する学生も出てくる。
皆勤賞を目指すことを強制しているところは多くないだろうが、そういうことに価値があると宣伝すると
暴走する人が必ず出る。
健康を目指すのであれば、欠席しなかった結果だけを取るのではなく
もっと総合的に評価するような考えでなければ意味が全くない。