「うちら」の世界と「リア充社会」について 炎上と学力と絆の問題

炎上案件で、低学歴と高学歴の溝という事がクローズアップされているけれども、
USJの威力業務妨害、ドブスの会事件、スーフリなど高学歴な人がまあまあ事件を起こしている。

今回の冷蔵庫入るようなつまらないいたずらで炎上するような大学生は今までに何人もいる。

はてなで有名なブロガーであるコンビニ店長さんがいうような、高学歴と低学歴というくくりでは説明できない。

「うちら」の世界

店長さんがいうには、炎上を起こしがちな人たちの社会を「うちら」として表現して、「うちら」外のことを理解できない層のことを「低学歴の世界」と説明していた。

店長さんは低学歴の世界というのを象徴的に使っているわけで、実際に学力や偏差値によって数値化できるものではないというのは承知している。
自分らの社会「うちら」には敏感だけれども、その外側の社会一般を理解できない層と学力の相関関係は有るかもしれないが、
低学歴という言葉を使うと誤解を与える。

個人的なことをネットに垂れ流しがちな、自分の周りの社会「うちら」のみ気を配る層のことを店長に倣って「彼ら」で統一する。

「彼ら」が低学歴や低学力は多いかもしれないが、それは副次的なことであって学力は関係ない。
「彼ら」が「うちら」社会で完結できるのは、外部との交流が少ない田舎などの土壌があったからできたのかもしれないが、
本質は偏りすぎる人間の絆というか束縛力の強い人間関係を求める集団の空気というものが先に有るのではないかと思う。

郷に入っては郷に従えを強要するような社会だ。
田舎などはそのようなことが多いかもしれないが、
必ずしも田舎や低学歴というという事が「うちら」型社会人間の前提条件ではない。

例えばリア充のような若者は、勉強もできたりして結構いい大学にも入る。
人当たりも良くていい企業の内定ももらったりもする。
そのような若者が「うちら」型の社会を形成して、SNSで社会一般の常識の洗礼を受けてしまうことがあるが、
それは彼らが結束力と束縛力の強い人間関係の中にいたからではないか?
めんどくさいから便宜的に「リア充社会」と名付ける

「リア充社会」の住人たちは
コミュニケーション能力は高く、身内には優しいが、社会一般のことには疎い。
学力はあるが、本気で学問を愛してはいない。
大学ではサークル活動やバイトを中心に置き、大学は学位と就活のためだけに行っている。
社会情勢に興味はなく、哲学や数学のような抽象概念の理解は苦手。
理論より経験、歴史より経験、習うより慣れろ、学問より経験、というように理論より実践を重んじる。
「リア充」社会でのもっぱらの話題は人間関係についてで、どこで遊ぶか、誰と付き合うか、どこで出会うか、誰と青春を楽しむかそのようなことについてだろう。
友人関係と恋人関係などを重きをおいて、絆や結束などそういう価値観で集団を尊重する。
そういう「リア充社会」では外の社会に目を向けることはあまり価値はなく、彼らのグループ内での結束や空気を乱さない事が重要になってくる。
だから、社会一般に目を向けることも抽象的なことを考える風土もない。

決して学力は低くない人間なのに、視野が狭いのはこの「リア充社会」の住人であるからこそなのではと思う。
彼らはどう青春を充実させて生きるかということには余念がないが、視野狭窄気味であるので「意識高い系」にもジョブチェンジしやすい。

今までの大学生の炎上を見て、多くがリア充だったことをみると僕の考えも的外れであるとは言えないのではないだろうか。

 

炎上を起こしがちな人が、大学生でリア充が多いが (炎上したアニメアイコンは少ない)
意外と企業に好まれる人材でもある。
企業は企業内の空気を尊重するような人を好むからだろうけれど、
同調圧力などが強い企業社会が生まれるのも「リア充社会」が関係しているかもしれないな。

そしてはてなや2chやブロガーたちなどリテラシーがある層に、ブラック企業批判も集まりやすく、リベラリストが多いのは
もしかしたら非リア充であるという事も関係しているかもしれない。

もっとも、リア充というのは大学生の実態を説明するために象徴的に使った言葉で、
田舎になれば田舎の閉鎖的な風土とリア充には関係はない。

本質は、強すぎる人間関係を強要する社会である。

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