アラシックさんの落選した人の気持ちの話で一つ詭弁だと子供の頃思っていたことを思い出した。
ご飯を残した子供に対して「アフリカの恵まれない子供はご飯も食べられないんだよ」という言葉だ。
自分が主張する事の説得力や正当さを増すために使っているのだろうけれど、正直どの子供も詭弁だという気持ちを持っていただろう。
貧困地域の問題と、偏食は直接関係ないし、そもそもご飯が食べられない子供がいるから自分たちは食べなければならないというわけではないだろう。
募金なりボランティアなり経済援助なりをして取り組むべき問題だ。
また食糧問題が解決したとしても、偏食をしてもいいわけではない。
問題は全く別だからね。
自分の主張を納得させるために、関連がありそうで全く関係ない物を引き合いに出す論法は論点のすり替えに該当するだろう。
偏食の解決も大切だし、貧困の問題も誰もが放置していいとは言えない問題だ。
だから子供にしてみたら、貧困問題について言われば同意せざるを得なくなる。
だが、こういう教育というのは問題だな。
偏食も無くなって、且つ貧困問題に対して意識を持つという事は大切なことだけれども、
このような詭弁を許すと子供はそれを真似てしまうし、偏食がなぜダメなのかという本質から遠ざかってしまう。
日本人は論理的じゃないといわれているらしいではないか。
もっと子供の時から論理的な話をしてあげてほしい。