インターネット ≠ コミュニケーションツール それとも インターネット ≒ コミュニケーションツール

Twitterやめたら起きたこと

こんなの読んだ。

よくある○○疲れの一つね。
mixiにしろfbにしろこの13年間いつもどこかで起きていた現象の一つだ。

増田には関係ないけれど、ネットとコミュニケーションについて思ったことがある。

「余暇はパソコンに向かってます。
Twitterやブログやっています。」

って言うとなんやかんやでコミュニケーションを沢山取りたいタイプの人だと思われがち。
特に保守的な人(おじさんやおばさん)に
「ネットばっかりやって薄い人間関係で満足してちゃダメだ!!」みたいな説教されるけれど、
あいにく僕はネットでコミュニケーションをほとんど取っていない。

Twitterはリツイートを回すか、はてブのリンクがはられるか、それか全く知らない人の話を聞くか誰にも反応されないようなことをただ垂れ流しているだけ。
積極的にコミュニケーションを取ろうとはしていないし、放置もたくさんしている。

ブログも出版社・購読者タイプの方式で運用しているから、誰が読んでいるか知らないし知り合いにも告知していない。
Facebookは同級生の連絡用窓口、Skypeは帰省した時の妻との電話用、Lineはやっていない。

ネット依存症・スマホ依存症のように最近言われるようになったけれど、それらは主にこのコミュニケーションについての依存が多い。
だけれども、そのコミュニケーションの依存を拡大的にネットやスマホっていうから、おっさんたちがネットのことを勘違いしちゃうわけだ。

ネットってコミュニケーションツール?

コミュニケーションという機能はあるけれどそれは一部だよね。

ちなみにコミュニケーションってのは色々あるけれど、ここでは会話のキャッチボールができるタイプの友達の和みたいなローカルタイプのことを指している。

それだけではなく、出版社 購読者タイプの一方的なものもある。
テレビや雑誌の延長のように使う人もいれば、作家やライターのまね事のように使う人もいる。

使い方は色々だ。
Twitterの使い方だって色々だ。

僕は大量のユーザーをフォローして、流れるタイムラインを読むのが好き。
雑多な今を読むことと、あとはLinuxとかのキーワードで検索して、Linux界隈の人からの情報を頂戴している。
完全な購読者タイプだ。

何が正しい使い方ってわけじゃないが、使い方は強要されるわけではないので、自分にあった使い方ができればいい。

色々な人と知り合いになるっていうのはいいことなのかも知れないが、結構それって時間を取られる。
多様的な使い方はしたいけれどコミュニケーションツールとして比重を置くとそれだけで大切な夜が終わってしまう。

そして、それだけのためにネットやスマホを使うのはもったいない。

メールは三分以内に返信とかリプライには返信とか、若い子には謎マナーがあるらしいけれど
そんなものは蹴っ飛ばして自分の時間を大切にしよう。

ネットは多くの情報を与え自由にさせてくれるが、使われてしまうととたんに不自由になってしまう。

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