彼女が欲しいA君と彼氏が欲しいBさん
両者の利害は一致しているけれど、二人が結ばれることは稀だ。
A君とBさんには恋愛対象の条件があるという当たり前の前提があるからだけれども、
人間を数値として考えてしまうとそんな当たり前のことが考慮されなくなる。
小泉政権が構造改革をうたったのはもう十年前か…
当時は構造改革により失業者も増えるが、海の苦しみだから我慢して欲しいと言われた。
失業しても今後伸びる介護業界などがあるから再就職は可能だというのだ。
人には得手不得手はあるし、人出が足りていない場所に頭数揃えるだけでいいというわけではなく、
激務と早急も相まって未だに介護業界は人不足だ。
IT業界で言われる人月という単位も、人を増やした分だけ工数が減らせるわけではないということは誰もが気づいている。
スキルなどで係数はかけるが、モチベーションなどは数値化できないからうまく行くのは難しいのだろうな。
人月の単位に組み込まれている側の人間としては操作する方の苦しみは中々理解できないが…
少子化対策に、婚活や合コンを政府が後押しをするということをするとかしないとか…
だが、それをやったところで比例して上がるというわけではない。
受給と供給が一致したからといっても、カップル成立というわけには行かないし、成立をするためには金、容姿、性格、しかも個人個人の違う嗜好などが絡んでくるわけで費用対効果は薄いだろう。
けれど、大勢の人を対象に何かしらの事をするには個別の事象は置いといて、無個性な集団として考えないとならない。
個別の状況を考慮してはパラメータが多すぎて複雑になりすぎる。
まあ、アタリマエのことなんだけれども
1+1は2になるということは人間では考えられないことなんだなと、でもお上はその誤差を考慮できないんだ。
だから、あぶれた人のためのセーフティネットは必要だし、個人個人も生きる知恵ってのは必要なんだなぁ。
取り留めもないけれど、こんなことを思った。