締め切りは明日だし、明日やればいいけれど
今日ちょっと頑張って残業しておけば明日は楽になるだろう。
という試みは大概失敗に終わる。
結局締め切りまで頑張ろうとしたり、与えられた時間を満たすまで仕事量は増えてしまう。
これ、パーキンソンの法則と言うみたいだね。
僕はやる気のない人間なので明日やれることは明日に回してしまうタイプで、結局締め切りに間に合わなかったりするのだけれども
妻は前倒しが大好きで
明日掃除をしないために夜のうちに掃除をしたりするのだけれども
結局次の日も気になって掃除をしているんだな。
効率よく物事を進めようとすると、その効率の良さに足を取られてしまうことって結構あるかと思う。
パーキンソンの法則にはもうひとつあって、
支出の額は収入の額に達するまで膨張するそうだ。
いくら給与が増えても出て行く金は増えて貯金額はあまり増えない。
10万で暮らしていた時は、20万もらったら10万の暮らしそのままで10万貯金に回せると思ったけれど
19万くらい使って1万貯金に回せるのが精々だった。
余裕があるとその余裕に安心して今まではしていなかったことをやってしまう。
服を買ったり本を買ったり、無意識のうちに財布の紐が緩む。
そしてその緩んだ紐は中々締まらない、
次の月も同等の生活水準を求めてしまう。
前の日に仕事が終わって余裕ができても、次の日にもうちょっと手直しをしようとする。
するとそれに時間がかかることになる。
しかも、その手直しは途中でやめると中途半端な状態になるので前日のできたものよりクオリティが下がるのだ。
また、同じような仕事をした場合同じクオリティが求められることになる。
当初見積もっていた工数よりも次回からかかることになるのだ。
妻の掃除は、結局前の日も次の日もやったことでいつもより広い範囲の掃除が可能になった。
本人は次回の掃除に同じクオリティを求めるようになり、より多くの手間がかかることになった。
仕事や掃除の場合、熟練度により効率が向上する。
だが、その熟練によりできた自由時間を埋めるように仕事をするので、無限に手間が増えていくだけだ。
それでクオリティが上がればいいが、工程が複雑になるだけで
本質的には要らないことかもしれない。
例えば電気の傘の水拭きなんて一週間に一度でも多いほうかもしれない。
だが、今や一日一回行うようになった。
それが二日に一回になったとしても何ら問題はなく、掃除品質にも影響はないのだが
一日一回は必須になってしまうのだ。
それで何が得られるのだろうか、
それで体が疲れたり、仕事にかかる原価が増えてしまっては元も子もない。
クオリティの向上は計画を持って行うべきで、雪だるま式に増えた工程では向上はそれほど望めない。
むしろ複雑化して全体的にクオリティが落ちることだって考えられる。
明日やれることは明日やる。
でないと仕事が無駄に複雑化していくだけだ。