良いことと悪いことは直線上にあるわけじゃない

人は良い面も悪い面も持っている。

素晴らしい業績を発揮したら人から認められるが、反面悪いことがあったら株が下がる。

株が上がる、下がるという表現があるが
良いことと悪いことが表裏一体で、
悪い面が増えれば良い面が減っていくようなそんな表現だ。

財布の中身のように支出が増えればマイナスに、収入が増えればプラスに
収支を足せばバランスシートのように整合性が取れる。

人間の良い面と悪い面というのはそのように評価されているところがある。

いい人が犯罪を犯す。
「気さくでいい人だったのにそんな人とは思わなかった。」

不良だけれども少し見せる優しさに
「本当はいい人だったんだ」

でもそれはその人がタマタマ持ち合わせていた複数の要素なわけだ。
友達には優しく団結力はあって上のいうことは聞く忠誠心と騎士道にあふれているけれど、残酷で触法行為を辞さない利己的な人間かもしれない。
自己中心的で刹那的な快楽を求めて破滅的で人を道具としてしかみていないけれど、気を許した相手には自己犠牲の精神を払う様な人かも知れない。

良いことと悪いことは表裏一体なわけでもなく、収支のように負債が増えてもそれを上回る収入で補えるようにはいかない。
多くの犯罪を犯したからといって、それとは関係ない長所が多いからと言って禊にはならない。

人はただ別々の特性をバラバラに持っているだけで、それが組み合わさって性格になっている。
だから減点方式で人を見たとしてもそれは机上の計算だけであって人を正しく評価できない。

いい人か悪い人かを総合的に判断するのはナンセンスだ。

総合的な価値判断はまずは置いといて、どのような特性があるかをまず見て
それらの特性について個別に評価していくのが良いと思う。

算数はできるが掃除は苦手、そして時々友達を泣かす様なイタズラをするという子どもがいた場合。
算数の業績をイタズラの罪により相殺をしてはならない。
「さっきは算数で100点とったけれど褒めて損した!あんなイタズラをするなんて、いくら算数頑張っても意味ないんだからね!!」
などという怒り方をしがちだが、算数が得意という特性までブレーキをかけてしまう。

逆に他に素晴らしい業績があることで、イタズラの短所には目をつぶるというわけにはいかない。
増長するし罪は他の業績によって相殺されると誤解をする。

まずはイタズラをするという問題にフォーカスを当てて、それのみを怒るまたは解決をしようとする。

大体人間なんて長所短所を総合したらどんな人でも大した人間じゃないという結論になってしまう。
そんな判断をされたら伸びるものも伸びない。

長所を褒めるということは、悪いことと良いことを分けて個別に対応することだと思う。

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