どこぞのテレビ番組が元で最近は新ドラえもん馴染めないという言葉にたいして
新ドラえもん擁護の声が聞こえてきた。
慣れたという人も、原作愛に満ちていて旧ドラえもんより良い作品だという人もいる。
作品の好き嫌いはあると思うけれど、声優が変わったあとに
馴染む馴染めないという言葉とともに「前までのキャラクターと雰囲気が変わってしまったのが嫌だ」という人も結構いる。
声優がなくなった時二代目はモノマネ的にそっくりな人を起用したほうがいいというタイプだ。
声質やイントネーションが似ているから良い。似ていないから悪いという判断基準だ。
声優が変わったのだから登場人物の解釈も演じ方も変わるのは当たり前
声優が別の人になったら、その人なりの解釈や肉付けをするし何よりもベースとなる声優本人が違うのだから別のキャラクターになってしまうのは当たり前。
それはそうだが、なるべく前代に近づけるべきかといえば僕は否である。
古いままに近づけろというのは、新しい声優の個性を否定しているしアニメの楽しみ方というか声優の楽しみ方から逸脱している。
演劇を見るときに役者事の解釈を楽しんだりするだろう。
声優だって演技をしているのだから同じように楽しめるはずだ。
アニメとなると映像と声というのは同一のように思えるのだろう。
確立された登場人物のキャラクター性は固定化され一個人のように独立されているべきだと思うのだろう。
だがそれはアニメを一方向からしか見ていない。
脚本や作画、声優によって作品はナマモノのように変わる。
キャラクターやアニメの世界を独立した一つと見るのもいいが、だが裏方によって変わるアニメの変化を楽しむというのも見どころの一つ。
攻殻機動隊は漫画、押井、SAC、ARISEで全部雰囲気も設定もキャラクター性も違うが、それはそれでファンは楽しんでいるし違いを受け入れている。
同じようにドラえもんだってガンダムだって楽しめる。
作品やキャラクターは同一性を保持すべきというのはアニメの片面だけしか見ていない。