なぜ僕は『Linuxを見限りWindowsに戻る』事にならなかったのか

とあるまとめサイトに、『Linuxを見限りWindowsに戻った理由』みたいなスレのまとめがあった。

パソコンを毎日使う層には一応Linuxの名は知れ渡っているのだろう。
Windowsのセットアップくらい簡単にできる人はWindowsユーザーでも結構いるとして、その中でもWindowsを不便と思っている人も結構いるんじゃないだろうか。
色々なところで新しいWindowsを入れたが不便だ…使いづらい…などの声が聞こえるから、その人たちはOSのセットアップも簡単に行えてかつWindowsに不満を持っている人たちだろう。
そういう人が沢山いるのにも関わらずいまいちLinux系OSのシェアは伸びない。

そのスレに書かれていた主な理由を見ればその原因が分かりそうだ。

  • Windowsに似た環境ではない
  • ディレクトリ構造になれない
  • ゲームができない
  • パソコンを使うために費やす時間がWindowsより大きい

とまあだいたいこんなところらしい。

ゲームができないとか、趣味に必要なソフトウェアがWindowsに固定されているならば仕方ないが、
その他の理由は不可抗力ではなくユーザーの性格というかパソコンとユーザーの関係に起因しそうだ

つまり、『あくまでもパソコンは道具であり、道具を使うための時間は少ないほうがよい。そして今までのノウハウは継続して使えるようにしたい』というタイプの人がLinuxからWindowsに戻ってきているようだ。

確かにLinuxに移ったときにはWindowsと違うことが多く、今までの使い方と全く違うことというのも多い。
コマンドラインの出番も多いし、ディレクトリ構造も違うし、アプリケーションのインストール方法も違う。
トラブルに対する対処の仕方も違う。

やりたいことに対して再びコストを払わなくちゃならない。

でも僕がWindowsに戻らないのは、そのコストが楽しいから。
パソコンは道具であり、やりたいことのための準備の時間は短縮すべきだという人の気持ちもわかるが、僕は最初の新鮮な気持ちで触るのが楽しかったから戻ることはなかった。
パソコンは手段で目的ではないと頑なに思っている人にはWindowsのノウハウを捨てることになるから難しいかも知れない。
でも手段で有り目的でもあるというタイプならば受け入れることもできるだろう。

それに最初に投資する時間のコストはかかるが、結構自動化もできるようになるので作業効率はWindowsより高い。
Linuxはかなりのポテンシャルを持っている。

不思議なことに、Windowsでエラーが起きたらイライラするのに
ArchLinuxでエラーが起きてもイライラしないんだ。
むしろ追求したい気持ちになる。

Windowsはユーザーに公開されている部分は少なく、エラー対処も対症療法のノウハウ的なものになってしまうが、
Linuxはすべてがオープンだから頑張ればエラーの根本原因がわかるかもしれない。
でも、もちろん僕のような情弱には理解できないところかもしれないけれど、エラー調査で得た情報は単なるノウハウではなく情報処理技術全体の普遍的なスキルに繋がりやすいと思う。

というわけで、パソコンは手段であり目的で色々調べたいというホビー系の人はWindowsから卒業するのはたやすい。

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