高菜食べてしまったんですか!?っていうのは、とあるラーメンにまつわる有名なコピペなんだが、
ラーメンが来る前に高菜を食べたり、先にスープを飲んでしまったりすると
店主に怒られるという店があるんだそうだ。
そのラーメン店は最近は少し丸くなったそうだが、昔に比べて客に媚びない商品に絶対の自信を持っている一本気のラーメン屋ってのが増えた。
今ラーメン屋といえば腕を組みタオルの鉢巻をして、男気を全面に押し出した店というイメージにすらなっている。
ラーメンといえばいわゆるB級グルメだけれども、最近はその『B級グルメ』という言葉の意味も
当初の意味と変わってきていると思う。
昔はラーメンはいまの富士そばくらい価値だったと思う。
グルメとは言えないけれど美味しい物ということでB級グルメという名前で市民権を得てきた。
これはちょうどアニメや漫画などサブカルチャーと言われていたものが市民権を得たのと似ている。
オペラ・演劇・絵画などのメインカルチャーとは違う『地位の低いもの』と見られていたが、
メインカルチャーに対してサブという名前がつくことで地位を得た。
もちろん地位が低いと世間は思っていただろうが、当時の彼らには職人としてのプライドはあっただろう。
だがそれが世間の人に知られることはなかった。
だが現在になると、その気付かれなかった職人の働きは人々にしられるようになる。
ラーメンでは佐野実や山岸一雄など有名人がでてきて、作家性や独創性が表現されるようになった。
アニメだって宮崎駿や押井守など強い個性のある作家も出てきた。
漫画は手塚治虫が『先生』と呼ばれ、子どものための漫画描きから画家のように正に『漫画家』と呼ばれるようになった。
今までは無名の職人たちが担い手だった物も、アーティストのようになってきた。
そうアーティストだ。
ラーメンも漫画もアニメもそれを作る人は今アーティストになっている。
高菜の店もその極北だ。賛否はあるだろうが、その店にとってのラーメン屋という矜持の現れだろう。
これは画家のようなものだ。
中世ヨーロッパにおいて画家というのは職人集団が描くものだった。
ルネサンス以降はレオナルドやラファエロなど画家は作家自体が一種のブランドになった。
プログラマの話
このように一般人には無縁だった職人集団から名前がブランドになっている作家やアーティストに変わるというのは常々起こっている。
それは人々が求めるからだろう。
はじめはそれほど崇高でも高価でもないものでも、人々の需要が増えていくとその職人たちから作家性を持った人が現れる。
今はゲーム、PC、スマホなどソフトウェアであふれている。
プログラマもそうやって今後アーティストのようになっていくのだと思う。
つまりハッカーだ
もちろんジョブズはそういう作家性のあふれたカリスマとして世間の人々の尊敬を今も集めている。
カリスマあふれるハッカーは他にも沢山いる。
CやUnixを作ったデニス・リッチー
生活そのものがハッカー的であるリチャード・ストールマン
Linuxという巨人の最初の一歩を進めたリーナス・トーバルス
多くの素晴らしい人は何人もいてそれらの人々の思想は多くの技術者の心を動かしてきたが、
それが一般人に知られているとは言いがたい。
でも、世間一般に名前がしられそのライフスタイルや思想が人々の生活に影響するようになってくるだろう。
ラーメンの出汁や麺の製法、アニメや漫画の演出法などが今の世では専門家でなくとも普通の人が語るようになってきたように
アルゴリズム、言語仕様の思想など今まで技術者くらいしか気にかけていなかったがプログラミングに最も重要なことも
カリスマハッカーの作家性と共に世間一般の人々が語るようになるかもしれない。
日本ではプログラマはIT業界の底辺みたいなイメージを持たれたり、IT企業は投機的な成長をする株を操る企業(ホリエモンの影響)とか思われているけれど、
今後は本業での作家性が全面に押し出されてくるかもしれない。
で、タイトルのはなしだが、
顧客におもねらない一本気のプログラマとか出てきてさ、スーツは着ないでTシャツどジーンズが仕事着で、
くだらない官僚的なプロセスを壊して、SESで仕事はしない。
請負でもなく、アニメスタジオとTV局のような関係で大手企業と仕事をする。
そして、あのスタジオの作品なら安全だなど市井の人々が思ったりするわけだ。
そんな時代は遠い未来かも知れないが、
今はネットで情報発信もできるし、個人の作品を世に出しやすい。
いままでは大手企業の下請けの名も無き技術者だったが、その来たるべき遠い未来ではその人の名前というブランドとともにソフトウェアが売られるようになるかもしれない。