埼玉の高校で入学式に、自分の子供のために有休をとった教師について
教育長が異例の注意を促し、そして県議が厳しく非難をしたという。
それについてTwitterやはてなでは教師を擁護する発言が多く、逆にそれらを非難している人々はどこにいるのかと思うほどだ。
恐らく住む世界も考えを発信する世界も違うのだろう。
事象の地平線の外側の宇宙のように互いに観測不可能な場所なんだ。
ぼくの意見は大体はてブとかで言われている大部分の意見と同じで、教師を擁護する立場。
その教師の今年子どもの入学というイベントがあることを見越して、担当を新入生に当てない。
そもそも、副担任がいるだろ。
保護者と同じように教師も当然ライフスタイルは重視されるべきなので、「教師だから○○」のように決め付け命題で証明した気になってないでお互いの利益が尊重されるようにすべき。
「教師は教師の倫理観をもって仕事ができる人がなるべき」の未来
教師は官製ブラック企業で、今やなり手も減ってきているなかで、このような更にハードルを上げるようなことになれば
参入障壁はより大きくなるだろう。ということは数々の人がすでに言っている。
厳しい労働条件で、さらに身を粉にして、自己犠牲の精神ではたらく教師がふえたらどうなるのか。
なんか良さそうな先生が増えると思うでしょう。
いや、実際はそうではない。
厳しい労働条件と自己犠牲が求められると教師のなり手が減る。
教師の数が減る。
でもその厳しい条件で入ってくる人は最もやる気に満ちた「純度が高い」教師だろう。
少数精鋭だけれどもいい先生で構成されてくるのか?
いや、それも違う。
この手のやる気に満ちた純度が高い人たちのみで構成される共同体というのは、往々にして独善的で暴走しやすい。
そして自分たち自らでより厳しいルールを作って外の社会とズレていく。
社会がブラック企業からライフワークバランスに向かっていく中で、教師はよりブラック企業化していくということだ。
新しい風がはいらなくなりより先鋭化していく。
そんなところで教育をされる子どもたちは、社会に出た時の違いについていけなくなり、
教育は今よりも社会にでたときに戸惑う元凶になってしまうだろう。
教師の生活のためということもあるが、今後の教育のためにも教師の倫理観などというふわっとしたものを押し付けず。
もっと風通しのよい働きやすい環境にし、子どもたちがすべき働き方を教師が実践すべきだと思う。