『常識』と『進化』

進化は生物の種が時と共に変化をして形が変わっていくことだけれども、誤解がある。

進化には何か目的があるとおもっている人も多いと思う。
そしてその目的とは人間と同じ文明を持つことが進化の目指す場所と思っている人もおおいだろう。
SFやマンガでもそのような描写が多いためだろうか。

進化とはその時代の環境に適応した結果今の状態になっているにすぎない。
問題に対処しようとする意思や目的が介在するようにも感じるが、そうではなく、
問題に適応した個体が残って遺伝子を残していくので、あたかも問題を解決する意思が介在したかのように見えるに過ぎない。

自然は単純にかつ明瞭に解決をすることを好むので、神の妙手のようにも思えるかも知れない。

『常識』の進化

人間社会の『常識』と言われる暗黙の了解も進化に似た変化を辿る。

握手は武器が無いという証を表していることが形式化された。
不要な人間関係の軋轢をうまないために、相手を不快に思わせないようにする行動が多く『常識』になる。

はじめは形式化されていなかったから誰もがそれぞれの試行錯誤を重ねていくけれど、
一番『良さそうなもの』が生き残る。

その『良さそう』という基準は自然のように単純かつ合理的なものではなく、人間味があふれている。
権威のある存在がその行動をしたり、宣伝が功を奏することもある。
もちろん数の理論は生き残りに重要なファクターでもある。
生物が数を増やすのは生殖によるものだけれども、『常識』の場合は人為的にバイアスをかけられることもある。
最適な解ではないが、多くの人の手が加わるのである程度は適切な形に収斂する。

そのうち、生物も『常識』も環境にそぐわなくなってくる時が来る。
だが、個体数が多かったり耐性があった場合にはすぐには表舞台から消えるわけではない。
しばらくして淘汰されていく。

『常識』も定着されれば環境にそぐわなくなってもすぐには消えない。
伝統とか決まりだという淘汰圧に対する抗いがあり中々消えないのだ。

だけれどもそのうち形を変えるか、古い考えとして次第に誰も『常識』を常識だとおもわなくなってくる。

『常識』もある環境のある問題に対する局所的な解であって、長く通じるものでもない。

『常識』はそれを守ること自体には意味はない。

共同浴場に入る前に体を洗うことには、衛生という意味はまだ残っている。

年賀状は顔見知り程度の人との人間関係を維持していくには有用だし、かつては手軽に時間をとらせないで挨拶を行える物が手紙であっただけで、
それを不要と考える者同士間では意味はないし、不要だと多数の意識が変わればそのうちなくなってくるだろうし新たなツールにとってかわるかもしれない。

就活スーツは黒という『常識』は、他の人と画一規格だという印象を与えることには役に立つだろうが、就活生に型にはめられるという閉塞感を与えるし、就活生の本音を隠させる方に作用し企業にとっても不利益になりそうだ。
ただそのようにしている数が多いだけで最適な解ではなさそうで、今の就活生が中堅社員辺になる10年後にはなくなるだろう。
こういうのは進化の生態系に反して生まれた『常識』といえるだろう。

『常識』は場所が変われば違うし、時代に寄っても違うということは誰もが理解していることだが、
今この場所で『常識』とされていることでもすでに寿命を迎えている常識もあるし、無理やり生態系に反して生まれた『常識』もあるわけだ。

「ならぬものはならぬ」などという思考停止では、寿命を迎えた『常識』と共に生きる老害ゾンビになる。

 

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