ブラック企業経営者ってのはだいたい善人だ。
労働者を奴隷のように扱って当然と思っている人もいるだろうけれど、
意外とそういうのは少数だったりする。
人間の行動は大体が善意に基づいている。
下っ端に押し付けて自分は重役出勤という人にはやはり人はついてこない。
一代で築き上げたブラック企業というのは経営者はパワフルで有言実行で、率先して辛いこともやっていたりするわけだ。
朝早く出勤してトイレ掃除とかしたり、休日に出勤して社員の教育に精をだしたり、遅くまで共に働いて、
苦しい労働の先導を切って指導をしているという人が意外といる。
ワタミとかもその一つだろう。
そういう指導者の行為に下々の者は愛情を感じ取って精を出す。
賃金では割り切れない領主と家来との義とか忠の関係に近くなる。
でも、得てしてそういう価値観というのは独善的になりやすく、パワフルな経営者のクローンであれば問題はないのであろうけれど、
多くの人は一代で会社を築きあげるほど精神力も体力もなかったりするわけで、
『自分と同じように成長するように愛情を注いでしごいている』つもりでもそれは社員の命を消耗しているだけだったりする。
また、先鋭化していけば「自分の愛情に答えない人はついてこなくていい」という人事方針にもなってくる。
従業員の価値観は統一化されて精鋭になっていくだろうが、一つの価値観で硬直化されていき参入障壁というか新入社員が馴染みづらくもなってくる。
愛情や忠誠心に比重が置かれている精鋭の集団であれば、規約などよりも空気とか暗黙の了解のような非言語的なコミュニケーションで組織がなりたっていく。
中心に置かれている組織のコアが愛情や夢であったり主観的で共通の価値観が築きにくいものでありながら、それを共有するのが重要な組織であれば指導層(経営者とか司祭とか)の言葉に出さない意図を探らなければならなくなるからだ。
そういう組織では新入社員は場に馴染むということが重要になり、そして自分の考えを発信するより考えを完全に経営者と同じにしなければならないようになってくる。誰かがヤレといったわけではなく、誰もがやっているからそうせざるを得なくなる。
もちろんそういう組織は新しい風も入りにくいので、その会社内での地位が唯一絶対であるという誤認もしやすくなり、
そういう組織に合わない人間は疲弊し命からがら逃げるか、自ら命を断つようになる。
経営者は社員を追い詰めたくてやっているわけではない。
ただ、自分と同じように夢を持って努力して、自分と同じように成功して欲しいだけだったりする。
同じメソッドで成功して、ライバル会社になっても良いとすら思っているかもしれない。
ただ、他者性の無さが違うメソッドの存在を認めようとはしないし、自分のメソッドが唯一皆を幸せにできると思っているところが問題だ。