若者の○○離れと言われ続けて、僕らはそれほどまでにもあらゆる物から離れているんだなぁと
あらゆる方向に離れていく星々を見て、宇宙は膨張をしていると予言したハッブルの話を思い出さずにいられない。
酒やキャバクラ、ゴルフ、高級車、高級腕時計などなど
別に今まで近づいたことなどないのだから、離れているわけじゃないのだけれどもね。
こう言われるのも、経済や社会の中心の50代〜60代から見るとどうかという話であって、
単に趣味趣向が違うだけ。
ボクらの少年時代はロボットアニメ全盛期。
勇者シリーズやエルドランシリーズも、もちろんガンダムもあった。
中学時代になればエヴァ、ナデシコ…
テレビをつければいつもそこにロボットアニメが常にあったわけだが、
今はそれほどでもないでしょう。
どちらかというとポケモンや妖怪ウォッチなどのコレクター物やゲームと連携しているアニメが多いし、
中学以上が夢中になるアニメも、それほどロボットが多いわけでもない。
そこで我々オッサンが、『若者のロボット離れ』といったところで、やっているアニメが違うし流行りではないわけで、
離れていっているというかは、そもそも文化が違う。
離れていっているという認識がそもそも自文化中心を隠さない傲慢な視点だ。
前置きが長くなったが、本題はここから。
僕らが50,60喜んでの世代になった場合、一体どんなものかな未来の若者は『離れる』のだろうか。
大体50年周期ぐらいで時代は回っていて、戦後反全体主義が主流になっていただろうけれども、
最近は若者を中心に右傾化傾向もあって、ブームは繰り返すのかもしれない。
だから、現在僕らが老害といっている世代と、僕らが爺さんになった時代の若者は意外と気が合うかも知れない。
パソコン離れ
ウェアラブル端末が増えて、しかもiPhoneのように煩雑な操作はシステム内部に隠されて簡単に使えるようになるだろう。
パソコンでもタブレットでも、自分でOSをインストールしたり、ソフトウェアをコンパイルしたりできるコンピュータのシェアは減っていき、
本当に自分で操作をしたいマニアが技術者しか手を出さなくなってくるかもしれない。
すべてのUIはブラウザになり、端末に保存しているのかそれともクラウドに保存しているのかという判別すらユーザーには不要になり、Cドライブとか外付けHDDとか死語になるかもしれない。
「俺達が若い頃は、HDDが壊れそうになったらバルク品を買って来て、自分でつけたんだ。」
若者(HDD?なんで記憶させるものが必要なの?)
スマホ離れ
ウェアラブル端末が増えて、必要な情報は即座にその場で伝えるようになるだろう。
でも我々老害は、電話をしているフォームが無いと独り言言っているようで恥ずかしいし、なにより操作をしながら体も動かすというのについていけないのだ。
だから手だけで簡単にできるスマホでメールをしたり電話をしたり、LINEをしたりする。
SNS離れ
若者はSNSには近づかない。
老害コミュニティが出来上がっていて、参入障壁が高いから。
中にはやる人も多いけれど、若いのに珍しいねぇと言われるタイプ。
若者はウェアラブル端末で一対一のテレパシーのような会話を即座に済ませる。
自己顕示欲でランチの写真をアップをして、顔色伺ってイイネするような2010年代の古い価値観にはついていけないのだ。
ネット離れ
そもそもネットをしない。
というかネットサーフィンをしない。
若者は「おじいちゃんたちはいつも家でパソコンをやっていて、いつも同じのを見て飽きないのかな?」とおもっている。
若者は必要な情報は即座に手に入れるが、無駄に情報を仕入れてそれを集めるだけで満足をしない。
情報過多にならないようにして、登山やスポーツをしながら人工知能が仕入れてきた情報収集結果を閲覧するだけだ。
ボーカロイド離れ&アイドル離れ
ボーカロイドのよくわからない歌をおじいちゃんたちはよくネットで見ている。
ダサい。
商業的な音楽は年々使い古されていき、我々からしたらダサいと思えるような時代のものが復権している可能性もある。
ニコ動離れ
ニコ動は2010年代風のUIのままになっており、ダサくなってしまった。
愛国離れ
爺さんたちは戦争にも行ったこと無いのに、やたら徴兵について語ってくる。
ウザい。
時代は革命だ。
就活離れ
爺さんたちは、やたら就活の大変さを語ってくる。
就職が大変で、自分を押し殺して会社に合わせたとかいう美談としてかたってくるが、
なんでそこまでして就職せなならんのか。
こういうブルジョワジーが…
僕が想像する40年後はこんな感じ。
僕らも今の爺さんたちと同じように僕らの時代を中心に据えて、○○離れとか言って若者を諭しているだろうね。