政治家には毎回感心させられる。
解釈改憲やら法人税引き下げなどを行えば大概の人からは、あいつは馬鹿だとか嫌いになりましたとか言われるだろう。
もちろん仕事や政治、経済ってのは嫌われるとか馬鹿にされるとかそういうことは関係ないということはわかっている。
政治家も仕事の目的もそういう人に一目置かれる為ではない。
でも、人にどう思われているかという意識が重要な決定を左右させてしまう。
本当は自分では良くないと思っていても人にどう思われるかを意識しすぎて自分の意見を変えてしまうことは多々ある。
解釈改憲について日本と国民にとって正しいか正しくないかは置いといて、少なくとも首相とそのお友達は意図を持って進めているわけでしょ。
一定数の反発を予想されるなかね。
僕のような凡人であれば、絶対予防線を張ってしまってグダグダになるか、何もしないかのどちらかだ。
さっそく「解釈改憲について日本と国民にとって正しいか正しくないかは置いといて」っていう予防線をはっていることからも分かるだろう。
本でもブログでもかなり批判が集まりそうなきわどいところを書く人がいて、案の定炎上に近い状態になるけれど
うまい具合にスルーしたり堂々と自分の考えを主張したりと絶対逃げない。
その主張が噴飯物の陰謀論だとしても、批判者の「○○なんじゃない?はい論破」ってのは全く通用していない。
様々なレッテル貼りにもネガキャンにも動じない。
安倍首相にだってファシストとかついて回っているけれど、全然動じていない。
主義主張が我々一般庶民を幸せにしてくれないものだと困っちゃうが、少なくともブレていない点では強い。
八方美人で全方位から支持を得ようとして全部ダメになるより、一定の支持が集まりそうなところをブレずに突いていくほうが安定はしているけれど極端になれば相当な精神力は必要だ。
そういう精神を持っている人には正論も揚げ足も貼ったりも通用しないんだ。
単なる人付き合いの次元のはなしであれば、距離を置くなどの方法ですむのだけれども、
政治家となれば民意を汲みとってくれなくて困ってしまう。
政治では困るけれど、クリエイティブな事ではこの強烈な強みは作品を面白くする。
iPhoneなどを世に出したジョブズはアップルでは独裁的な力を発揮したとか。
委員会方式でこれがいいアレがいいではいい作品は生まれなかっただろう。
一人のセンスのある人が旗を振って強引に人を動かすほうがいい作品を生み出す可能性が大きい。
皆で作るよりは、クリエイティブな部分は一人で作ったほうがいいというのはソフトウェア開発に置いてもよくある事例で
仕様策定で何でもかんでも色々な偉い人の意見を入れてどこからも文句のいわれないような仕様にすると大概クソみたいな製品が出来上がる。
それに必要なのは批判者に媚びない意思だ。自分の考えが良いと思っている心だ。
それがないとどんなものも面白くなくなると思う。
ただそれが良いものになるというわけではない。
少なくともiPhoneは優れた一貫性で作られた優れた作品なのだろうけれども、操作性も悪いし僕は要らない。
結局は好き嫌いの問題で片付くから芸術や文芸、携帯端末ならばいいけれど、
好き嫌いで片付かない国民の命がかかっているので政治はそういうスタンスじゃ困る。
強権的な自民党政権はNOだ。
けどあの精神力は欲しい。
ただそれだけ。