ワークライフバランスとか子育てして仕事という話が昨今求められている。
男も女も子育てに参加できるし仕事もできるということは理想だ。
その成功例として、バイタリティ溢れて仕事も家庭も100%の力で両立する人の話が出てくるが、
超人を理想としてはいけない。
育休明けの女性社員が退職を迫られたり、降格されたりという話をきく。
その逆境に立ち向かい上司の要望を100%、家庭も100%という生活をするという人もいる。
仕事で不当な扱いを受けるか、必至になるか、その二者択一しかないのか?
だが、人間誰もが超人ではない。
女性の問題だけじゃなくて、男女共に様々な場面で同じようなジレンマがある。
ワークライフバランスを求めつつ、仕事も求める。
そういうバイタリティあふれる人が理想とされている。
管理職の評価基準としてワークライフバランスの達成も見るところもあるらしいが、
今まで仕事80:家庭20を 仕事80 家庭80にしようとさせているとしている。
体育祭とか部活とかでよくきく「120%の力を出していこー」もそうだけれど、何でもかんでも全力でやろうとしても限界がある。
いくら労働時間を圧縮するよう効率化させていっても組織が旗振ってメンバー増やすなりしなければ、根本解決にはならない。
しかも労働時間を圧縮したら余裕があると思われて新たな仕事を振られたりしてね。
産休明け育休明けの女性社員が時短勤務をしたりするときに「使えねー」とついつい言ってしまう人が減らないのは、
そのようにメンバーに余裕がないからそういうふうになるわけで、
そういう言葉が出てしまう以上、ワークライフバランスも少子化も解決しない。
そこで理想として超人を出してきても、一部の人が成功するだけで結局殆どの人が家庭を犠牲にするか仕事を辞めるしかなくなる。
断じて僕は、男は仕事女は家庭という価値観を復古させようとしているわけではない。
男女にかかわらず、色々な生活や仕事スタイルがあるのだし、極端な例えだけどもある時ふと仕事を辞めて旅に出てまた仕事にありつけるような流動性と余裕が社会に欲しい。
もちろんあらゆるコストが高くなるが、逆に人が仕事で人生を犠牲にしなければならない様な仕事で成り立っている値段は不当廉売であるともいえる。
とまあ、そこまで自由で楽な社会はできないだろうが、すくなくとも時短勤務の人や定時帰りの人がでても問題ないくらいの余裕さは欲しい。
仕事バリバリ、家庭バリバリは個人の目指すところとしては良い目標なのかも知れないけれども
それは個人の問題で、
それを単に集団に適用しようとしてもうまく行かない。
個々の最適化が、必ずしも全体の最適化にならないという原理と同じだ。
つまり仕事ができる人だけが子育てができる様な社会では少子化は改善できない。