中学には様々な部活があるけれど、教師がそれほど活動的ではない部活や、
教育的な指導と親和性が高く、ひたすら熱心に活動する部活がある。
後者は野球であったり多く体育会系で、往々にして謎の精神論やトンデモ理論がまかり通りやすいところだったりする。
教師が熱心な部活動は、大体トップダウン式の教育法で
今でこそ少なくなった管理教育もここではしっかり残っていたりする。
未だに教師による悲しい事件が残っていたり、高校野球でのブラック部活賛美が残っていたりするところからそれはうかがい知れる。
例えばプログラミング部がそういうタイプの部活だったらどうなっていただろうか?
生徒同士で作りたいものを作るとかは無い
教育的に決まっている作法をまず習わなければならない。
1年は写経ばっかりだ。
2年からレギュラーになれるが、3年やキャプテンの言うことは絶対だし、教師の言うことは聞かなければならない。
だから上が行ってきた仕様は絶対だ。
新しい物は否定
科学的に有効なトレーニング法やメンタルトレーニングなど確立されている中、ゲンコツや恫喝でチームビルディングをしがちな体育会系
そんなプログラミング部であれば新しい開発手法を生徒がやりたいと言ってもさせてくれない。
1年はテスト!もしくは写経!
いっぱい書いて作法を覚えるのだ。
そんな先生が教えてくれるのはPC何8だよって時代に先生が覚えたBASICのことばかり…
githubで作品を載せましょうよ!という生徒の言葉を先生は理解できないのだ…
美しさより辛さ
なにかと努力や頑張っている感じが好まれる管理教育。
そんな中生徒たちが書いたクレバーでスマートなコード。
しかし先生はそんな綺麗なコードを認めない。
愚直に沢山書く!精神と時間を消耗させることが先生は好きなのだ。
朝練と、放課後の部活でただただ時間をかけて作られたコードは、頑張ったことだけは認められるコードでしかないのだ。
学プロ連のお歴々は自己犠牲が大好き
学プロ連(学生プログラミング連盟(架空の団体)(高野連みたいなの))は自己犠牲とかが好き。
プログラミング甲子園の前にマネージャがおにぎりを作って夜遅くまで頑張る生徒を励ました逸話とか賛美しちゃう。
あれ、なんか別に架空の話じゃなくなってきたなこれ…