インターステラーをもっと早く見ておけばよかった。こんな名作なんで見過ごしていたのか…

今ツタヤで最新作の棚に置いてある『インターステラー』を借りてきた。
事前に得ていた情報は

  • クリストファー・ノーラン
  • 滅亡寸前の人類のために宇宙に行く

事前に自分が思っていた印象は、『プロメテウス』のような外宇宙への探検がメインでサスペンス的な要素が全面に押し出されている映画かとおもったが、
『2001年宇宙の旅』や『コンタクト』ような神秘に迫る話だった。

この人間が宇宙の極限に接するという描写や、文明がゆっくり荒廃していく様など僕が好きな描写が多くて
なんで映画館にいかなかったんだろうと公開している。

あまりネタバレにならないようにストーリーの核心を避けて、僕がググッと来たところを書いていこうと思う。

荒廃していく文明

近未来で、出てくるガジェットは今と同じ道具が多いのだけれども、
ボロい。

車がサビ付いていて、新車もない。
車種は今現在の物と同じような車なのだけれども、まるでキューバのクラシックカーが現役のように直しながら使われているようだ。

マシュー・マコノヒー演ずる主人公が大体40代くらい。
40代の人が子供の頃は食料争奪のための戦争ですでにプロ野球が無かったそうだ。

その父の世代だと子供の頃にプロ野球があって、観戦しながらホットドッグを食べていたそうだ。

だから、今の10代か20代くらいが60代くらいなのかもしれない。

映画よくある文明の崩壊はかなりのスピードで朽ち果てて行くけれども
この映画では文明の崩壊速度は遅い。
世界の終わりを予想するナショジオなどでやっているドキュメンタリーを見ているかのようだ。

恐らく雨がへって砂漠化が進んでいるのだとおもう。
穀物に感染する疫病が増えて収穫量が減っている。
今そこにある危機ではあるが、数日後とか数年後とか言うよくある急な展開ではなく、
じわじわと人類の文明レベルが下がりながら貧乏になりながら滅びていく感じがする。

だから最初見た時は何処かの田舎町の話なのかなと思ったほどだ。
だが見ていくうちに世界的にゆっくりと衰退していっているんだなというのがわかる。

これがリアルなんだ。

文明の崩壊系映画は好きだけれども、ここまでジワジワそわそわする崩壊を楽しめる映画はすくない。

遠くの宇宙へ行く

人類を助ける為遠い宇宙に行くのだけれども、この描写がハード。

『エイリアン』のようにかっこいいマシンはあまり出てこない。
『サンシャイン』や『月に囚われた男』のような閉鎖的な宇宙船だ。
SFじゃないけれども『アポロ13』のようなあの窮屈な感じがする。
または『ゼロ・グラビティ』の突入ポットみたいなね。
もちろん『2001年宇宙の旅』もそれに当てはまる。

この窮屈さが僕の琴線に触れる描写なんだ。

宇宙は広大で、とても広すぎるのだけれども生命を維持するための小さい空間が
とても心もとなく怖さが際立ってくるのだ。

映画を見てそこに宇宙空間があると思える。

科学的考証

量子力学と相対性理論はもとより、ブレーン宇宙などの最近はやりの仮説が盛り込まれている。

重力は余剰次元に伝播する。
ブラックホールの内側、つまり事象の地平線の向こう側はこちらには観測は不可能。
重力を解明するためには量子論と相対性理論の矛盾を解決しなければならないが、それは高次元の事象を解明しなければならない。
などなどニュートンで見てきたワクワクするようなワードがスパイスとして効いている。

深宇宙に行く時には欠かせないウラシマ効果ももちろんある。

もちろんそれが物語に重要に関わってくる。

ハードだけれどもソフトなSF

でも、これでもこの映画はハードSFでは無いと思う。
もっとも人文的な主題である親子の愛がメインテーマになっている。

だから強引な展開やケレン味もある。
科学考証的に考えてもどうなんだ?という部分はあるのだけれども、
そこがファミリーでみれる映画に仕上がっている。

この映画は人間にスポットを当てながら宇宙の不思議、極限にも触れていく。
この手の映画で言えば『2001年宇宙の旅』や『惑星ソラリス』という名作が思い浮かぶだろう。
『2001年宇宙の旅』は後半はボーマン船長の体験する宇宙の神秘の描写があるが、人類の進化へと話は進んでいく。
神秘的な描写が美しいが次第にボーマンの主観は無くなり物語は高次元へと発散されていくよううな感覚におちいってくる。

逆に『惑星ソラリス』はソラリスに接していくに従ってケルヴィン博士の世界に物語は閉じていき、極めて人間的な話に収束していくが、絶望的でもあり、人間の残酷なリアルを感じ取れてしまう。見たあとは不安感しかない。
見ていて芸術的に素晴らしいが、ただ誰もが求める映画といわれたらそうでもない。

インターステラーは文学的にも科学的にも複雑な話をしているわけではない。

ただ子どもを守りたい。親に会いたい。そんな誰もが思う普通のことを困難な時代に載せて描いている。
だからハードなSF描写がありながら、SFや文学に馴染みのない人でもダイレクトに心に来る映画に仕上がっている。

ありきたりな普通の親子の話だからといっても、薄いわけではない。
普遍的な人間賛歌、人間のありのままを描いた希望にあふれた映画だ。
見た後の余韻は『コンタクト』に似ている。

おまけ

コンピュータのTARSとCASEが良い。
あれはコンピュータ系キャラクターとしても個性的で、HALのような有名なコンピュータになりそうだが

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