『わからないこと』との付き合い方

分からない事にぶち当たった時、
例えば学校の勉強やなんかの資格の問題とか何かの技能の事など、何かわからないことを誰か詳しい人例えば先生などに聞く。
すると「どこがわからない?」とまず聞いてくることがある。

「どこがわからないかも…わからない…」
そう答えるしか無い時は誰だってあるだろう。

しかしそう言うと大概笑われるか呆れられる。
もしくは先生や詳しい人が途方に暮れてしまう。

そりゃたしかにそうだ。
分からない箇所も分からなければどこから教えれば良いかもわからないし
ヘタしたら最初から復習しなければならないのか、それでは短い間に説明しきれない。
そう思ってしまう。

でも疑問を持つ者は本当に分からないし、説明できたら苦労はしない。

全くわからない状態

そう、何かに疑問にぶち当たった時にそのぶち当たったものがなんなのかも分からない事というのは良くある。

僕がそれを感じたのは、中1の頃の数学の方程式だ。
小学校の頃からは何か問題の解き方があって、計算をして=の右側に当てはまる数字を求めていけばよかった。
文章問題でもただ式に読み解いて行けば問題は無かった。
一種の同じパラダイムで通用してきた。

中1の一学期の中間テストまでは良かった。
負の数が入ってきたけれども、それは負という概念があらたに加わっただけで、今までの算数と同じパラダイムの中で計算はできていた。
でも、数字の中にaとか記号が入ってきた。更にxという記号に当てはまる数字を求めるようになってきた。
全く何を言っているのか分からなかった。
計算をして=の左側の数値を出していけば良いというわけではなくなってきたのだ。

続いて一次関数などが始まってくると更に分からなさは頂点に達する。
何を求めているのか、この式をいじって線を引く意味が分からななかった。

算数は比較的実生活につながっていたこともあって理解しやすかったのかもしれない。
しかし一次関数ともなれば何に応用できるのか中学生の僕には想像は付かなかった。
そして教師はそのことを教えてくれず、手続きに関してだけ教えてくれるにすぎなかった。

そういうような状態では、何がわからないかと聞かれても何もかもが分からない。
じゃあ、また一学期から勉強しなおしたとしても、きっと二周目でも分かっていない。

むしろ「何がわからないか」が言葉にできれば疑問解消への道のりのうち8割はクリアしているのではないか?
何がわからないかというのは、もう疑問を持っている分野の大きな枠組みは理解できているのだからね。

理解の土台

そもそも人は何かを理解をするためには、自分が今まで培ってきた常識を土台にして考えていくしか無い。
あらたな概念をそのままダイレクトに受け入れることは出来ない。

算数に関しての僕の最初のブレイクスルーは5才か4才の頃に桁の繰り上がりの仕組みが理解できたことだった。
1から10までは数えられるが、11以降は覚えられなかった。
しかし、11からも1の位は0~9の繰り返しで、9を越えたら上のくらいがカウントアップされるという仕組みに気づいてから、
それは個人的なパラダイムシフトだった。
数は覚える事ではなく、機能的に桁が増えていくだけということになった。
四則演算を小学校で習うが、それは4歳の頃のパラダイムで理解できた。
分数も少数も理解は出来た。数字が増減するという意味ではおなじだったからね。
しかし、方程式や一次関数は幼い頃のパラダイムから外れたものだったんだ。

新しく習う外国の言語や新しい分野など今まで持っていなかった概念に触れるときにはそう感じることが多いと思う。
特にプログラミングをやり始めた初学者はそう感じることは多いと思う。

分からないこととの付き合い方

何もかもが分からない場合には、まず分かるところから探していこう。
分からないことと分かることを仕分ける。
分かることに仕分けられたモノを一度先生など詳しい人にあっているか聞いて、再確認して
そこで認識のズレを修正したり、
疑問点の状況を整理していく。

その試みの過程で自分が今学んでいる事(中学数学でもプログラミングでも資格の勉強でも)の大きな枠組みが見えてくる。
それは間違っていてもいいけれどまず最初の歪な円が引ければ、
あとは分かることと分からないことを何度も何度も再確認して、
分かることが本当にわかっているのかの再確認と分からないことを分かることにしていくサイクルをずっと続けて行けば、しっかりとしたその学んでいることの枠組みが見えてくるようになってくる。
そしてわかってきた事を土台にすることが出来る。

結構手間のかかることだけれども、「これこれこういう土台で考えろ」とはいえない。
そういう個人個人の思考の拠り所は人それぞれなんだよ。
僕は電話番号を数字で覚えているが、友人は数字パネルをどういう形で押していくかという画像的に覚えるようにしていた。(今や電話番号なんてお簿得る必要はないね)
そういうように考え方はそれぞれ違う。
自分でまずは分からないことを分かるようにする土台を作らなければならない。

上で書いた仕分けのサイクルを繰り返す方法を続けていけばそのうちブレイクスルーを迎える。
4才のころのパラダイムから中学数学的なパラダイムに変わることが出来たのは、比の計算や連立方程式だろうか。
実際の生活でも使えるような事例から、未知数との付き合い方がわかってきた。次第にそれを土台にして勉強が進むようになった。

『そうか、そういうことだったのか』
あの感覚は正に宇宙の晴れ上がりだ。
ジグソーパズルのピースがあるべきところに揃う感じ。
まだまだ疑問点もあるが、どこが抜けているのかがわかるような状態だ。

漠然とした何もかもが分からない気持ちになっても、無能とかバカとか思わないで、
ただ新しい事をやろうとしているときは誰だってそうなるんだ。
疑問点との付き合い方を変えて見ると、全く何もわからない状態から少しは変わることができる。

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