僕がTwitterをはじめてからどれほど経っただろうか。
その答えはすぐ出た。プロフィールページに登録した年月が書いてあった。
2009年12月に登録したそうだ。
結構長い間やっているのだな。
すでに六年目。ちょうど同年に生まれた息子は来年小学生になる。小学一年生だった子は中学生になる。
ちょっとした歴史を感じる時間だ。
息子が生まれた年を思い出してみると、参加した時の状況が思い出される。
その頃はまだmixiが傾き始めていたとはいえSNSの最大手であった。FacebookもあったがTwitterと同様に当時は名前が知られ始めた時だったと思う。
例にもれず自分もmixiをやっていた。出産の報告をmixiでやっていたのは覚えている。
その頃のmixiはFBやTwitterなどの新参勢力に対抗するため招待制をやめた。日記がmixiの投稿の最小単位であり重要な発信源であったのだが、ツブヤキというTwitter風の機能もつけてきて、
溺れる者がパニックを起こして更にその命を縮めて行くように、新機能を追加していきユーザーが離れていってった時期でもあった。
自分のマイミクの日記の投稿が減ってきて、ツブヤキがTwitterから連携されてきたものに取って代わられた。
そこでmixiからTwitterへ引っ越すことへ決めた。
Twitterの世界へ
Twitterをはじめて見ると、そのシンプルさに驚いた。
mixiの文化と違いTwitterではフォローはかなり自由に行うわけだけれども、そこがはじめ分からなかった。
しばらくしてフォローはかなり自由にしても良い文化だということに気付いたが、mixiのように全員の顔が覚えられる範囲でのフォローが良いのかもしれないと思ったためあまりフォローはしなかった。
今でいうツイ廃と言われる四六時中Twitterをやっているフォロワー数1000人程度の人を「これがTwitterでは名が知られている人なのかもしれない。名物ユーザーなのかもしれない」と思ったものだった。
余談だがそのころTwitterではやった出来事で思い出深いのは『相互フォロー推進委員会炎上』かな。
これで盛んにTwitterのマナーについて議論されたようだ。
当時のインターネットを取り巻く環境としては、まずスマホはなかった。
スマホが出たのは2010年頃だったはず、東日本大震災の時はIS01を持っていたが電波がつながらず正にメガネケースだなと思った記憶がある。でもそれ以外のAndroidもなかったし、iPhoneも一部の人しか使っていないような状況だったはず。
Twitterクライアントはパソコンか、ガラケーでもできるモバイル版が主流だった。
それだけでも問題はなかったのだ。なぜなら動画はもとより画像すら載せる機能はなかった。
僕が始めた頃はリツイート機能が付いたばかりで、リツイート機能を公式リツイートという名前でよび、ただのコピーにユーザー名をつけるツイートを非公式リツイートとよんでいた。
140字の短文を載せるだけの機能しかなかったものだから、ガラケーでもあまり問題はなかったのだ。
当時のmixiは写真も動画も載せられていた。コミュニティなどの機能も充実していた。
だが140字の文字を載せるだけの機能しかなかったTwitterのほうが進んでいると思われていた。
当時のTwitterは本当に貧弱だった。頻繁にサーバーは落ちる。日本語の検索も賢くない。コアとなる「適当にフォローして、一人ごとじみた短文を送る」というシンプルな特徴をブレずに与え続けた事が息が長いサービスになったのだろう。
mixiはあしあと文化や日記文化などその文化には当時は好悪が分かれていたけれども、せっかく培ってきた文化があったのだから付和雷同せずにコアを大切にして行けば良かったもののそれを一度でも崩してしまったからユーザーが逃げていったのだろう。
今や写真や動画も投稿でき、インプレッションがどの程度かも調べることができる、スマホを使えばPush通知でどんなリプが来ているか即時にわかるのだが、やっていることは参加し始めたころとまったくかわらない。
六年も経てば趣味も立場も変わるのだけれども、このフォローが自由というお陰で「人間関係や趣味関係の変化でサービスを退会する」というよくある状況にも陥らなかった。
あと6年続くのかと考えるとちょっとそこは疑問があるが、ただ短い文章を不特定多数に読ませるという欲求は意外と結構皆持っていて、これを満たせるのはブログか匿名掲示板くらいしかないのだけれども、同じユーザーから発信していることを保証するユーザー同一性や、投稿文書が第三者にアクセスされる可能性にはどちらも難がある。
それっぽい機能を持っているサービスはあるが、Twitterほどその欲求に答えている者は少ないのでもしかしたら僕の予想よりもうちょっと長く続くかもしれない。