僕は数学が得意というわけではないけれど、好きだ。
でも実力はない。数学史の読み物を読んで楽しんでいるだけ。
文学部哲学科を修了したので、受験において数学は全く使わなかった。
哲学科の講義では一応デカルトやライプニッツなど哲学者であり数学者である哲人たちのところで触る程度であったが
専門的なことはまったくやらず、おそらくどの学生も高校一年レベルである可能性もある。
数学は全くできない人も多く、全く必要としない職場も多い。
数学を苦手とする中高生から、なんで数学なんてあるんだ因数分解なんか出来なくても社会に出られるという言葉をきくが
ある意味では尤もな意見ではあるが、
だが社会に出て有益かどうかだけで数学があるわけではない。
数学とは全く関係ない人生を歩んできたけれど、数学という教科がなぜ必要なのかを拙いながら分析をしてみた。
数学という教科が必要な理由
- 論理的な思考を身につける。
- 数学が必要になる道に行く人の為の基礎
- 世界の仕組みを知るという教養的側面
以上のことが挙げられるのではないかと思う。
論理的な思考を身につける。
もっとも数学という教科におけるプラグマティックな効果はこれだと思う。
決められた手順を守り問題を解く。
論理の飛躍や恣意的な解釈などを込めず、論理的な類推によって適切な答えを導く。
今まで学んだことを駆使して問題を解く。
これらのトレーニングには数学は最適だ。
因数分解や三角関数を知らなくても社会生活には困らないが、
人の話を聞かず自分の信じることだけを信じて非論理的に仕事などをすすめるような人は社会生活で困ることになる。
ある問題があって解決するためにどのような道筋をたてて解決していくかという事には必要だろう。
もっとも数学がうまく出来たとしてもそのような公平で論理的な思考ができるかというとそうではないのだが…
また受験では公平な問題を行う上において最適だ。
自分が論理的な人間だというには、論理的な手続きをもって問題を解決できるかどうかを証明しなけれなならない。
面接でそう証言しても意味はない。
そのためにもこういう筆記はある程度効果をしめしてくれるのだろう。
数学が必要になる道に行く人の為の基礎
中学生くらいで自分の生きる道を決めて、それを完遂できる人は稀だ。
誰もが将来のことなどわからないし、 数学嫌いでも結果的に数学が必要な仕事につく可能性だってある。
数学が必要な職業は数学の先生以外にもたくさんある。
基礎的な開発を行うプログラマ。
我々のようなユーザーに近いSEなどはバリバリ数学ができる必要はないが、
アルゴリズムを考える人や基礎的な理論を考える人などは数学が必要だ。
もちろん我々のようなSEでも専門的なものじゃなくても稼働率とかそういう簡単な計算も必要となってくる。
例えば公開鍵。みんなが安心してネットを使えるのも素因数分解や素数が関係をしている。
工学的なエンジニアや建築家
機械やコンピュータが発達したけれど、やはり設計をする人は知らなければならない。
飛行機には虚数の計算を使うらしい。
原子力には微分を使うらしい。
保険会社、金融とかそこらへん
文系の職業と思われがちだけれども、保険会社なども数学を使う部署があるそうだ。
統計などの計算をしたりするのかな?
数学的なアプローチで市場の予測をたてたりすることもしているでしょう。
計算機が発達したけれど、計算機はパラメーターを与えなければ計算してくれない。
式をかいて、あとの計算はコンピュータがしてくれる。
でも式を書くには知識が必要だ。
何でもかんでもコンピュータがやってくれるわけはなく、数学が必要な職業というのは意外と多い。
必要と感じてから中高の数学をはじめるのでは泥縄もいいところだ。
必要ではないかもしれないが、必要な時のために学生のころにはやったほうがいい。
世界の仕組みを知るという教養的側面
個人的にはこれが一番重要なんじゃないかと思う。
世界(地球とか国とかではなく、宇宙や森羅万象のこと)を記述できる言語は数学だ。
数学を通じて世界の神秘を知るということは、古典や絵画を見ることと同じように精神を高めることになるのではないか?
天体観測や純粋数学を指して不必要とする人は多いが、
人間は理解できない事を解明していくという本能があるとおもう。
その本能がこの文明を築き上げてきた原動力ではないか?
だとすれば短期間的には経済効果の薄い純粋数学などは不必要かもしれないが、
人類の種としての永続的な活動から見ると重要なことだと思う。
当時は実用的になるとは思っておらず、ただ知的好奇心のためにやっていたのだが、
純粋数学の発見が後々にちゃんと応用されるということもある。
先ほどの公開鍵のことだって素数の性質を知らなければできなかったし、
携帯電話だってトンネル効果という量子力学的な効果を知らなければ作られなかった。
相対性理論なんて時間がどうなろうが生活には関係ないと思われるが、カーナビが誤差なく動くのも相対性理論的な補正がはいっているからだ。
そういう文明の発展は、知的好奇心を満たすことから発している。
文明のこととか教科には関係ないとは思われるが、
個人的な事でも言えるとおもう。
古典や数学や絵画や、他にもドラマや映画やアニメ、歌、音楽、ゲーム
何でもいい
多くのことを楽しんでやっている人というのは、仕事だけの人間より下地が厚く人間的な魅力がある。
もちろんそれで実利があるかどうかなんて関係ない。
視野が広がり人生も楽しくなる。
結果的に副次的に仕事もハリが出て、イノベーションが生まれるかもしれない。
(※イノベーションや仕事のために教養があるのではなく、教養ある人から多くのアイディアが生まれる)
会社の役に立つとか、就職の役に立つとかそういう瑣末な問題ではなく、
人として生きる事には知的好奇心が必要だ。
もちろん個人の人生を彩る教養は数学でなくてもいい。
文学でも歴史でもいい。
数学は必要。でも学校の数学はつまらない
このようなことから数学という教科は必要だと考える。
だが、問題を解くために数学をやってるという側面ばかり学校では強調されている気がする。
三番目のような教養としての数学、楽しい数学を学校でも教えてくれるようになれば生徒ももっと楽しく授業できるだろうに。
ゼロ除算のはなしだって、答えが0だと教える学校もあるらしいし、
そう教えなくても、やっちゃいけないとかそういう頭ごなしに教えるだけのところもある。
前者は間違いだし、後者は正しいけれど
なんでそういう結果になるかを証明する過程を示さなければ、1のような 論理的なトレーニングにもならないし
3のような教養にもならない。
もし若い方がこれ見ることがあれば、
ぜひ暗記などに頼らず、なぜそうなるのかという姿勢で授業を受けて
数学の神秘に驚いて楽しんでいただきたい。