足し算の順番にこだわると閃き阻害するんじゃ

かけ算の順番が小学生の教育で拘る教師がいるという話を前々から聞いていたが
どうやら足し算の順番も拘る教育があるそうだ。

『2人居ます。あとから3人来ました。』という場合は2+3と書かなければならないというよくわからない決まりらしい。

それについての僕のツイート

ガウスは天才数学者として名高い歴史上の偉人。
高校生ならばガウス平面で名前をきくだろうし、フォトショップにも『ガウスぼかし』なる物があるのでそこでも名前を聞くと思う。

ガウスは幼少の頃、教師に「1から100までの数を足してみましょう」という問題を出されて即座に「5050」と答えたそうだ。
その方法を聞いてみるとこうだ。
1 2 3 … 100 がある。
外側から足してみよう。
1 + 100 = 101
2 + 99 = 101
3 + 98 = 101
と真ん中から織り込むように足していくと101になる。
101になる組が50組できるから、101*50 = 5050 というわけ。

この解法を幼い子どもが閃いて即座に暗算したことに教師は驚き天才だと確信したそうだ。

そもそも
日本語の通りに問題を式に組み立てるというのは重要ではないと思う。
日本語のとおりに式を組み立てたあと、どのように解いていくかはそこは発想に任せるべきだと思う。
算数をしていくと現実的な物事から数を抜き取って、するとケーキの数とかクラスの人数とかそういう現実の物事は関係なしに数だけで答がだせるという抽象的な感覚がつかめると思う。
それは低学年には難しいと思うけれど、高学年になっていくうちにそういう抽象化というものが理解できていくわけだけども
ベースとなる算数教育で日本語の意味するところを数に反映させてしまうルールを強く求めてしまうと、その抽象化を理解する段階になった時に足枷になるのではないか?

僕の高校の体育教師が数学が苦手だったと言っていた。
その人は小学校からもうダメだった。
特に分数。例えば1/3だとすると『ケーキ三等分した中の一切れ』という表現をしていたが、
いわゆる仮分数を習うときに、たとえば4/3という数字を『ケーキ三等分した中の四切れ…なんで三等分したのに四つ用意できるんだ??』と国語的に考えてしまって理解の範疇を超えてしまって算数嫌いになったそうだ。

そういうように言葉に縛られて数に目がいかなくなるのではないだろうか。

そしてガウス少年のように数の仕組みを理解してこそできるアイディアあふれる解法を消してしまう。
そして数学嫌いが増えていく。

この重箱の隅を突っつくような教育が与える効果はどのようなものなのだろうか?
少なくとも閃きをもつ児童は出る杭を打たれるように平々凡々にはなるだろう。
もっとも、言うことを聞く右に倣える”いい子”にしたい人々からすれば効果絶大なのかもしれない。

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