好きな物を悪く言われることが好きな人はあまりいないだろう。
かと言って、批判全般が控えるべきものではないとは思う。
消費者は製作者から一方的に物を受け取るだけのものではないし、より良くするためには意志を表明することも必要だ。
でも何かの作品の批判を目にした時に不愉快な気持ちになってしまいがちな人は、その批判をいう人はどういう視点でみているのかを考えれば良い。
作品を見る時に人は『好き』か『嫌い』可で判断をする。
それとはまた別に客観的に『良い』か『悪い』かという基準もある。
その人の好き嫌いが、作品の良し悪しと同一視してはならない。
批判をする人も、聞く人も別の次元の話だと割り切らなければ不幸な誤解を産んでしまう。
『嫌い』を『悪い』と勘違いした批判例
例えばワンピース。
ご都合主義とか、メンバーが死なないとか、ヌルいバトルなど言われることがある。
ワンピースはそういう作品だからいいのだ。
ほぼ予定調和のような展開で登場人物が成長していき大きくなって勝利する。努力友情勝利を体現したような作品だ。
そういうことを魅力にして成功をしている。
ワンピースにもっと殺伐さを求めるのは、アンパンマンにバイオレンスさをサザエさんにサイバーパンクさを求めるようなものだ。
中学生くらいだと好きなものが固定化されがちで、シリアスな作品や無情な展開が好きならばそういう作品こそ良いと勘違いしがちだけれども、
それは単にジャンルの好き嫌いでしかない。
ワンピースにもっと殺伐さを求めるならば、テラフォーマーズでも読んでいればよいのだ。
逆も然りで、自分が好きな作品こそ至高と思っているパターンもある。
『良さ』『悪さ』とは何か
これは基準が難しい。
『悪い』作品というのは、展開が破綻しているとか読者が納得できない強引なストーリーなどが典型だと思う。
そのジャンルが好きな人の大半がその作品を見て残念だと思ってしまうようなものが『悪い』。
ほかにも未完成で適当に作っているのが分かる作品。
例えばターンAの劇場版とかは悪い部類だと僕は思う。
1年分のダイジェストが2本に収まるわけないし、機動戦士ガンダムの劇場版が3本で過不足なくまとまっていたのに非常に残念だった。
結局、『良し』『悪し』もまた主観でしか無い。
人によっては『良い』と思うし『悪い』ともおもうだろう。
自分の好き嫌いを排除して、客観的事実を積み上げて判断を下すようなものだ。
『好き』『嫌い』は人それぞれだけれども『良し』『悪し』もまた人それぞれ。
『嫌い』は『悪く』はないし、『悪い』ものを『好き』でもよい
人が低評価を下しているものを避ける人がいる。
レビューで星が少なかったら見ない人や、自分が買った本などの星が低かったら自分も低いと思ってしまう人。
でも皆が『悪い』と言っていても『好き』『嫌い』とはまた別の問題だ。
B級映画好きは『悪い』ものが『好き』でいるようなものだろう。
『良い』ものを『嫌』っても良い。
そもそも自分で『良い』か『悪い』か判断はして欲しい。
批判はしていい
その上で批判はしていいと思う。
一定の作法はある。
自分の好き嫌いであることを、主語を大きくして作品の良し悪しまで敷衍しちゃならない。
好き嫌いは批判ではなく自分の好みの表明としておこなう。
聞く方にも作法がある。
自分は別であるということを留意すべきだ。