空気は読むものではない。吸うものだ。空気を読むという事のリスク。

「みんなビールでいいよねー?」
「ビール苦手なんで、ホッピーでー」
「空気読めよー」

適当に考えたけれど、こんな感じの会話どこかで大学生いっているんじゃないかな。

空気読め。という言葉は様々なところで使われるが、
僕はこの言葉のこと大嫌いだ。

結婚式でお祝いムードの中で思い出話に元カノの話を振るとかそういうことがアレばさすがに「空気読めよ」という言葉を発したくなるが、
そこは「新婦やご親族が聞かれたら面白くないだろうし、新郎も気まずいだろう?」と諭して何がまずいのかを話してあげたほうがいい。

空気を読むという言葉が出る杭を打ち、同調圧力を高め、人と違う人を排斥する免罪符になっているという事実は見逃せない。

ビールじゃなくてホッピーでもいいじゃないか。そんなの誰が決めたんだ。
なぜか最初はビールだというよくわからない儀式があるところが多い。

みんな残業しているから空気読んで残ってろとか、
忘年会でないのは空気読め無いとか、
どのような服を着るかどうかですら空気読めという事を言われることすらある。

これでは人を思いやるという事の度を越して、
過度に集団に溶け込めという事を強要している。 
出る杭を打って置こうという日本の悪しき村社会のようだ。

空気を読むという事のリスク

どうやらこの空気読めは日本だけじゃないみたいだ。

アビリーンのパラドックスという現象があって、
ある家族の一人がアビリーンへの旅行を提案して、みんな誰もが行きたがっているだろうとおもって、自分は行きたくないけれど賛成をする。
そしたら本当は全員行きたくなかったのにみんな賛成してしまったために行く羽目になったという話。
空気を読んだことで誰もが損をしているという例だ。

実際こういうことはあるはずだ。

場の空気を読むという事は、集団の思考を予想して自分を合わせること。
もちろん空気なのだから誰もが明示的に意思表示はしない。
結局話がおかしな方向に行く。

こういうことはよくあることで、的外れではないだろうかとか、
頑張っている人がいるのに批判していいものかとか、
間違っているけれども上司がそう思っているんだからそれを指摘したら空気が悪くなっちゃうなとか、
前任者がやって来ていたんだから、今後もこの作業を続けておけばいいかな、などなど

全体の和を乱すこと、前例を覆すことを極端に恐れすぎる。
恐れるだけで、杞憂に終わればいいが、
空気読めの圧力で正当な主張が握りつぶされることもある。

最近の事例だと、遠隔操作ウィルスによる冤罪事件だ。
反証がたくさん上がってきたのにも関わらず、事件を早く解決に持って行こうとする空気で起訴をしてしまった。

痴漢冤罪でも志布志事件でも富山の冤罪事件でも同じように空気で発生したのではないか?

2足す2は5であるということを党がそう言えばそうなると思わなければならないという小説『1984年』を彷彿させる。
いや、2足す2は4なのだが、空気によっては5であり、4でもあるという二重思考が空気Readerには必要なスキルだ。

誰もが首を絞めあう空気

この空気という姿なき支配者のおかげで、荷重なサービスや利便性が求められているのではないか?

みんながやっているからやるべきだという空気で苦役を被ることになって
結果誰もが 苦しくなる。

仕事が無いときは仕事を見つけて仕事をしろというが、
まあこれは仕事をしている人の為に空気読んで仕事しろってことでしょう。
仕事が仕事を呼んで仕事が増えたら単価が増えて稼働も増えていいことないと思うのだが…

ネットでアイドルや芸人、ニコ動で歌っている人の批評をするのも嫌われることもあるが
それを好きな人にとっては面白い話ではないかもしれないが、そういう空気を醸成してしまったら自分も言いたいことが言えなくなる。

SNSで読んでいる人のことを過度に思いすぎて、書いているのが辛くなるが、やめるのも空気が悪くなるから
やめるにやめられないSNS奴隷みたいな人もいる。

いいねボタンをおすか押さないかで悩む人もいる。

どれもが結果的に集団を閉塞させて、誰もがみんな苦しくなる。

苦しくなったら空気を吸え。
うまいぞ。

空気読んでるから酸欠になるんだ。

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