小学校では、最近親に抱っこされるという宿題を出すところがあるとテレビで聞いた。
自分の周りではあまり聞かないのでどれほど普及しているか知らない。
テレビでは賛否両論という話だったけれども、たしかにこれは運用は難しいし、本来必要とされている家庭にはあまり効果を及ぼさないのではないのではないかと思う。
もともとの理念はなんなんだろうか。
家族の絆が希薄になっているという話は前々から聞いていて、一種のノスタルジーを伴って「昭和は大家族で良かった、今は不幸せだ。そして昔より希薄だ。」という文脈で語られていることが多かったように思う。
それが正しいか正しくないかは置いといて、核家族化と共働きと長時間労働の蔓延で家族が一緒に居られる時間は減っているのだろうとは予想できる。
それで絆が希薄になっていて子どもは孤独を感じているというのはわからないけれども。
世間一般で家族の絆は薄くなったかどうかはわからないけれども、実際虐待や機能不全家族は社会問題としてクローズアップされている。
現に家族の絆を必要としている児童は少なからず地域に数人はいる。
この宿題の目的はどこに向いているのかはわからない。
世間一般の家族の絆の深さの底上げなのか、本当に必要な児童を救うことなのか、もしくはその両方かもしれない。
ただ、僕が思うのは本当に必要な児童にとってはこれは逆効果だということだ。
機能不全家族は学校から出された宿題程度で抱っこすることもないだろう。
児童本人は言えないかもしれない。
言ってもやってくれないパターンでも親に言えないパターンでも、どちらにしろ他の子ができる簡単な宿題をできないのは辛い。そしてその頃の子どもはこの状況を自身の所為であると思ってしまう。虐待児は親ではなく自分が悪いと思ってしまうのだ。
そもそも、多くの家庭では抱っこしなくても家族から抱っこ同等の安心感を与えられているわけで、
抱っこにより何か得られるということはない。
小学生ともなれば抱っことは違う親子のあり方というのもあるし、それぞれにあった距離感があるわけで、一律に抱っこでよいというわけでもない。
多くの家庭でもあまり得られることは少なく、本当に親の愛情が必要な子には宿題ができない引け目を感じさせてしまう。
本当に必要なのは、児童に非公開で親に向けたメッセージだ。
親が自主的にするよう生活改善をしなければならない。
残業をやめて一緒に遊ぶ、有給休暇をとって遊ぶ、宿題を見る、そして必要なら抱っこをする。
本当に救いが必要な子が負い目を感じさせず、学校が安心できる場にすべきだ。
機能不全家族はこの宿題で見つけることは難しい。
本当の救いは地域の連携で児相と学校とでケースに合わせて対応していくことになるだろう。