常識でしょと思ってしまう
行き帰りの電車の中、寝る前、周りの情報を遮断して考えに耽るとき、ブログのネタになりそうだなと思う断片が浮かぶときがある。
それを実際に書こうとする前に、結局やめてしまう。
『これ書いても他の人書いてるし』
『wikipediaにそのまま載ってるじゃん』
『常識なことをドヤ顔で書くって恥ずかし』
『人が知らない情報や新情報を書かないと』
こういう考えが頭に浮かび、それが圧力となってせっかく思い浮かんだネタを否決してしまう。
こういう反応があることが怖い。
『そんないまさら…』
『こんなこと書いて、どの層向けだよ』
『これ○○に書いてある』
『n番煎じだな』
オリジナリティを否定され、自身の学のなさを嘲笑われているように思えてしまい、執筆脳内稟議を速攻否認してしまう。
自分の歩んだ道は普通のことだと思ってしまう
このブログのアクセス解析を見ると、自分がオリジナリティがあると思っている余り他所では見られない記事はそれなりしかアクセスされていないが、
『常識だし』と思われるような記事は意外と長く息が続いている。
それはそのはずだ。考えてみれば当たり前で、その情報を知らない人は沢山いる。
例えば、JavaとJavaScriptの違いという記事がある。
これは我々プログラミングを生業にしている人にしてみたら常識で、もし会社でこんな混同をしている人がいたら嘲笑されるのだが、
それはその狭い世界の中でしか通用していない常識なのだ。
パソコン知らなくても分かるJavaとJavaScriptの違い
これからマインクラフトのMODを作ろうとした学生が、まずJavaとJavaScriptの違いでまず躓いているかもしれない。
僕はラグビーのルールは知らないので、ラグビーのルールというワードで検索をして調べるけれども
『ラグビーやってます』な人たちにとっては『なにそれ常識じゃん』ってことだけれども、僕は知らないし、でもちょっと気になるから調べたい。
そういう人は沢山いる。
だから、自分が常識だと誰もが知っていることだろうと思っていることについても
本当は需要があることなんだ。
それを知らなかったことを忘れてしまっているんだ。
今の僕が普通と思ってしまっているんだ。
いま自分の立場で知っていることはいろいろあるけれど、まだ若い頃には当然しらなかった。
そのこと気のことを思い出そう。
知らない人向けに噛み砕けるかどうかにかかっている
また、自分では『常識』でも需要はあるということを頭ではわかっているけれど、
ちょっと『色々深いことを知っている人に思われたい』圧力というのもある。
そもそも、『常識でしょ』と言われることを恐れるメンタルは『知っている人』だと思われたいと地続きだ。
高度なことを書いて、すげーすげーみたいに思われたい。
でもそれって中途半端な記事にしかならない。
高度なことを知りたい人はかなりレベルが高い充実した記事を望んでいるが、ターゲットに合わせてちょっと背伸びして書いても、
僕には精一杯なのにターゲット層にとってみれば『なにそれ常識』だし、まだ多くを知らないけれど知りたい人にとっては『高度すぎてわかんない』になってしまう。
囲碁のこと知らないけれど、囲碁のこと調べてルールの説明を書こうと僕がしたとする。
でも『ちょっと一家言ある人風に思われたい』と思った僕は、ルールの説明に複雑なテクニックを織り交ぜてしまう。
そして、『当然だけど』『当たり前だが』みたいなことを付け加えてルールが知りたい人に届かなくなってたりしてしまう。
もちろん囲碁のことちゃんとやっている人には『なんだこいつ』となるわけで、『どこ層向けだよ』という記事の出来上がりになる。
知らない人に向けて噛み砕けるか。
背伸びして書いても噛み砕くことはできない。
背伸びの目的は知ったかブリなので、噛み砕くこととは相性がわるい。
そもそも、噛み砕くにはそれなりに理解していなければならない。
自分の知っていることは『当たり前』のことでもない。
無理に背伸びしなくても良い。
自分の『当たり前』がまだ『当たり前』じゃなかった頃のことを思い出し、
その層に向けて書く。
そうすれば、脳内稟議が否決された『常識』的情報も人に役に立つ記事になる。
wikipediaにはないこと
書いている途中に『wikipediaで調べたら一発で分かるなこれ』と思ってしまうこともあるけれども、
wikipediaの記事は意外と右も左もわからない人には伝わりづらい記事が多い。
それに中立で執筆者の個性が消されている。
ブログでは自身の経験や思い、ともすれば偏ったことなのかもしれないが、
辞書的ではない執筆者の主観が入る記事は、読者の経験にリンクしやすいと思う。
プログラミングの勉強の方法は、読者の例えば受験の経験と結びつき理解されるなどあるかもしれない。
それはwikipediaにはない。
そういったことを念頭において、本来面白かったはずの記事を生まれる前に消さないようにしよう。(僕もする)