キングスグレイブFF15を見て、FF15ゲームライフに影響を与えること

キングスグレイブFF15(KGFF15)をレンタルしてきてみた。ネタバレはしない。

これは、FF15の冒頭から序盤の大盛り上がりするところまで、王都で何が起きていたかに焦点を当てた映画。
今年の夏くらいに劇場でもやっていたけれども、ゲームをやっている人にもみてもらいたいからだろう。すでにDVDがでている。

主人公たちはでてこないけれど、王様やヒロインのルナフレーナはでている。

映画はゲームと違ってより人間に寄せているデザインで、ほぼ実写だ。
FF15ゲーム本編は欧米風の顔立ちのキャラクターだけれども、アニメ的で動きも日本人のようにあまり動かない。

一方KGFF15の方は、ほぼ実写で動きも欧米の人のようなジェスチャーもする。
吹き替えをしている映画をみているようだった。

そんなわけでルナフレーナはゲームと全然顔立ちがちがう。
しかも声も違う。

別の役者がやっているけれどシリーズ上同一人物ということになっている映画の登場人物みたいなものだ。

映画自体は面白かった。
ゲームのムービーの切り貼りではなく描き下ろしだし、
ゲームの宣伝用の短い映像作品ってわけでもない。

ガッツリ2時間、映像美と熱い戦いが楽しめる。

ゲームとの関わり

同じ時間の別の人たちの働きを描いているので、映画自体が大きな伏線なんだと思う。
今後、映画での出来事がゲーム内で語られることがあったら面白い。

映画は面白かったが、ゲームに話が続くので続きが気になるところで終わる。
「続きみせろよー!!」と思ってしまうが
それは僕の腕にかかっている。寄り道せずにストーリーを進めることにかかっているんだ!

RPGだと戦闘や謎解きなどに気を取られて、僕はストーリーや世界観が頭に残らないことが多い。
次どこに行くかという短期目標を提示されてそれに進むのは面白いが、全体を通してなんだったかとエンディングみたあと結構忘れていたりする。

ところがKGFF15をみたことで、背景とか頭に入ったおかげで
ゲームの長期目標がわかってきた。
ゲームに当事者意識を持つことができた。

このストーリーにのめり込ませる方法として映画のように見せるのをゲームに持ち込むと、やらされている感がでてクソゲーになってしまう。

ゲームをやらされている感を低くするには自由度を高くする必要があるが、ストーリーに関わる部分はいくらマルチエンディングといえどもそれほどの自由はない。
選択した分岐の結果でしかない。
一方育てたキャラや、コンプリートした図鑑、など自分が作り上げてきたほうがゲームに参加している感覚が多くなるためストーリーは二の次になってしまうのは仕方ない。

ストーリーを映画に一部外部に出して、ストーリーや世界観に印象をもたせるのは良いことだと思う。
自由度の部分は楽しみつつ、映画の続きを自分で勧めている感じがして新鮮な気持ちになる。

だから、FF15をやっている人は見て損はない。
むしろ見るべきだ

みて、そしてあんなに頑張って大切なものを守ろうとした人たちがいたことに思いを馳せてほしい。
そうすれば釣りやサブクエで旅行ばかりしているノクティス王子の生活が少し罪悪感を感じてしまうだろう。
本当にチョコボの前で笑いながら集合写真とっている場合じゃないぜ。
現実逃避せずにストーリーを進めるんだ!
と言いつつ今日もサブクエを消化するだけの日だったけれど…

映画の細かい所

映画自体は単品でも楽しめる。
だがFFっぽさはないんだな。
魔法は繰り出すがどこかフォースっぽい。

でも細かい所はFFだーと思えるところがあって面白い。

まずニフルハイムが繰り出す巨大なシガイ兵器は、FF7のダイヤウェポンそのままの姿だった。
FF7をやったことある人にはわかるが、あれがミッドガルに近づく姿は壮絶だった。
今回は超美麗なCGで日本に似た都市に迫ってくる。
怪獣映画としても良いシーンと言える。

ヴェルサス13のころのトレーラーで、ノクトが当時のヒロイン予定のキャラとビルの最上階で話しているシーンがあったのだが、
そのときにエトロ神の絵画が飾ってあって、それについて言及するところがあるんだ。
FF15はもともとFF13と対をなすFFヴェルサス13と言う題名のゲームだったが、途中改題してFF15になった。

で、そのエトロ神の絵画がKGFF15にビルの最上階に飾ってあった。

 

エトロ神とはFF13の神話に登場する神だそううで、それが映画にもでているということで、まだFF13の対をなしているストーリーという軸は残っているのかもしれない。

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