芯はそのまま
リメイクに不安を持っている人は多いと思う。
キャラクター、設定、ストーリーを全く違ったものに変えてしまい
全然別物になってしまうということがよくある。
しかし、原作そのままであればいいというわけではない。
ただ過去の作品をそのままにした。それがいいと言う人もいるだろうが、
変えなければ進歩もないのだし、新しくはしたい。
それにそのままのものを作れというのは、リメイクを作っている人の作家性を否定しているみたいで好きになれない。
過去をリスペクトしつつ、良い発展を見せてほしい。
攻殻機動隊は、マンガ、押井版、SAC、アライズなどいくつも作品があるが、
それらはどれもが違う。
キャラクターの性格が違ったり、時代の描写も、ストーリーも違う。
芯はすべて共有していて、機械の体とゴースト、公安9課と草薙素子といったところだろう。
実写のGhost in the shell はその芯を全く侵害していない。
登場人物の性格や背景、舞台は新しいものだけれども、
他の攻殻機動隊の作品と同じ芯を共有している映画だった。
「スカーレット・ヨハンソンが東洋人の役をやるなんて」
「草薙素子が西洋人だ」
「少佐といわれているが、そもそも素子じゃないらしい」
公開前はそんな声を聞いた。
誰が演じるかなんて関係ない
もっとも、全身義体の人間にとって東洋人であろうが西洋人であろうが見た目は関係ない。
そして、当然そんな批判は全く当てはまらない。
正しく義体のテーマを扱っていて肌の色は関係ない話であったし、少佐はまさにこれも少佐だった。
舞台は押井版の攻殻機動隊の雰囲気をそのままにした感じの東洋のどこかの国っぽい場所。
国に関しては明言はしていないが、首相がトップの議院内閣制の国家っぽい。
だからアメリカというわけでもない。
言葉もバラバラだ。
荒巻やサイトー、そこら辺のモブの人たちの一部は日本語を喋っている。
他にも中国語や韓国語の文字も氾濫している。
会話している言語がバラバラでも意思疎通ができている。
電脳のなせる技なのかもしれない。
そういう時代で、日本人とかアメリカ人とかはもう関係ない。
東洋人役を白人がやることを欧米では「差別では?」と思う人たちもいるらしい。
それは僕から見れば過剰反応だろうし、この映画みたいに東洋人でも西洋人でもその境界が見えないような描き方をするほうが本当の脱差別だと思う。
総評
思いの外いい映画だった。
だが、不満点はいくつかある。
押井版をリスペクトしすぎている。
押井版のシーンをそのままにしているところや、ファンなら気づくサービスなどが随所に散りばめられているが、
押井版をそのまま実写化にしてしまったところが多くなっており、
オリジナリティもありつつも、冒険味も薄れてしまっている。
ただそこはバランスだ。
押井版ファンからみれば見たかったものと、変えてほしいところのバランスが良いと思うかもしれない。
一方で、二番煎じの印象を持つ可能性もある。
しかし、いい意味でも悪い意味でも裏切られたとは感じないはずだ。
攻殻機動隊を見てきた人からみれば、「こう収まったか」と思える。
そんな映画だった。