最近話題になっているので聞いていることと思うが、大阪の府立高校でもともと髪の毛が茶色気味の女子生徒に対して、黒く染めることを強要したことについて裁判までもつれ込んだそうだ。
学校は「たとえ金髪の留学生でも黒く染めることになる」と嘯いているそうだ。
もちろんこれは、強要罪に触れることであるし、人権侵害でもあるし、また生来の性質に対する差別ということは、現代社会に生きるものならば感じ取れることとおもう。
これについて自分が新たに書き足すことはないが、二点触れておきたい
在校生の学校擁護について
何人かの在校生のツイートが出回っていたが、校則に関して報道に同意する人もいれば、事実と違うと言う人もいる。
それは各々考えがあるからいいけれども、一部どうにかわかってほしいことがある。
「外野がうるさい何も知らんのに」「事実だとしても生徒なら学校を信じよう」的な事実だと認めつつ、それを言うことを良しとしない勢がいた。
この件だけじゃないけれども、例えば企業不祥事など発生した時でもそういう人はいる。
これはあまりいい態度ではないという認識が広まってほしい。
別の学校や企業で何かあった場合は、それについて憤ったり違和感を感じたりするでしょう。
それが自分が所属しているところだと、そのことを言わない聞かないようにするというのはフェアじゃない。
所詮はポジショントークになっているだけだ。
むしろ、こういう活発に違和感を内部から表明できるほうが新しい風が入り、
世間との常識のズレも少なくなるわけで、
むしろ内部から声を上げて行けるべきだ。
それが学校のためになる。
学校教育ではそういう意見をいう態度は目上の人に失礼というような価値観がはびこっているとおもうし企業でもそうなのだが、
その先が東芝や神鋼のような企業不祥事に繋がるとおもうのだが、
健全な社会を作るためには内部からでも違和感を表明したほうがいい。
なお、廃校になったりすることを怖がって居る生徒もいたようだが、大丈夫だとおもう。
校長や関係した教員、教育委員会の人が変わったりするだろうけれども、学校は残るだろうし、逆に第三者の目が入りやすくなって住みやすくなると思われる。
制度バグについて
そもそもなんでこんなことになってしまったのだろう。
髪を染める人というのはそれまた昔はヤンキーが学校運営を妨害する目的で、威圧する風貌のために髪を染めていた。
ところが、今や少し髪を明るくするくらい男女問わず会社勤めの人でもやっている。
にもかかわらず、その30年前の価値観が学校に残ってしまったのだろう。
親も大人もまた、中高生に至っては例外的に髪が明るいと荒れていると感じてしまうようだ。
同じ人がコンサバ系の格好をしているか学校制服を来ているかで、キャリアウーマンか遊んでいるかと、違うように見えてしまう人がいるんだ。
そこで逆転現象がおきている。
荒れているから髪を染める行為が発生したと言う経緯があったが、髪を染めることで荒れてしまうという因果の逆転だ。
そのせいで見え方重視になるようになってしまった。
本来は荒れを演出するヤンキーの威圧的格好を止めさせるためであっただろうに、
なぜか染まっているように見える髪を撲滅するようになってしまった。
僕が以前から言っているヤクザとタトゥー規制の関係に似ている。
完全にバグってる。
何を守るための規制なのか完全に見失っている。
こういう校則が話題になった時に「ルールは必要だが」という前置きをする人がいるが、
ルールは何か目的があって必要になるものなので、ただ守らせるだけのルールや目的が不明になったルールはなくしていかなければならない。
今一度、校則は何のための目的なのかを見定めて、
その中に不合理なものがあれば改善していく。
不合理だが残っているルールの中には、無意識に残っている差別感や偏見によるものがある。
なぜ必要なのかを考えるのは、偏見との戦いだ。