ついにこのときがきた。
手探りでラテン語を勉強する。
厳密には再勉強だ。
大学の頃、授業を受けていたからだ。
そのおかげで、「ラテン語でなんていうの?」的な妻の無茶振りが今でも続いている。
だが、それで得たものは下の写真にある教科書と辞書をもっていることと、
未知の単語をみてラテン語っぽいと言う雰囲気を知るだけで
英語で置き換えるならば中学1年レベルにも達していない。
そう現在形ですらスラスラ読めないのだ。
せっかく教材を持っていることだし、使う場面がないのに詳しい人とか非常にかっこよく、「ラテン語警察だ!」とネットで威張れるのもいいので勉強し直すことにした。
ラテン語とは
歴史に詳しくない人はラテンということばで、ラテンアメリカとかラテン系とかそういうイメージを連想するかもしれない。
ラテンアメリカのラテンはラテン語より広い意味で、ラテン民族が移民したアメリカということで、ラテン民族はイタリア、フランス、スペインなどまたがる。そのうち主にラテンアメリカの人はスペインなので、ラテンとはちょっと意味が遠くなっている。
ちなみに北米はアングロアメリカという。
イギリスのアングロサクソン系の人たちが移民してきたからだ。
話を元に戻すが、ラテン語とはどこで話されていた言葉かというと、2000年以上前からイタリア半島で話されていた。
イタリア半島でローマは興った。
ローマといえばローマ市のことを思うかもしれないが、古代ローマのことだ。
国であり文化圏である。
ローマ市は長らくローマの首都だった。
ローマは規模を拡大して、イタリア半島のみならず、ヨーロッパ、アジア(今でう中近東)、アフリカ(北部アフリカ)を国土にする巨大帝国になった。
温泉漫画のテルマエロマエもまさにこの時代のローマが舞台だ。
ローマは西ローマと東ローマに分裂し、東ローマはコンスタンティノポリス いまのトルコのイスタンブールを首都にして、西ローマは今のローマ市を首都にした。
西ローマ帝国は紀元400年代に崩壊した。
そのローマ帝国で話されていた言葉がラテン語だ。
とにかく広い地域を治めていたのでラテン語は後世にも強く影響を残している。
ローマ帝国は弱体化、崩壊したあとでもラテン語は公用語のようになり、
近世においても学術書を出す時はまずラテン語で書くというのがスタンダードになっていた。
カトリックにおいてローマは教皇がいる場所に定められていて、ヴァチカンではラテン語が公用語とされている。
カトリックでも今はラテン語は重要な言語になっている。
でも、話者は様々な民族が入り混じったり散ったりして、当時の形はもう残っていない。
学術や信仰のために残っているが、事実上死語のようなものだ。
ラテン語の文法を簡単に説明
ラテン語は英語と同じあのアルファベットを使う。
そもそもあのアルファベットはローマ字とも言うが、まさにローマで使われていた言葉なので、英語よりむしろローマ字先輩だ。
読みもほぼローマ字で、英語みたいな例外は殆ど無い。
文法は英語に近いけれど、英語をむっちゃめんどくさくした感じだ。
名詞と格変化
まず名詞について説明しよう。
英語を思い出してほしい。
同じ単語でも、主語か目的語か、単数か複数かで少し形がかわるだろう。
まず複数形にはSがつく。
私を表すIも、所有を表すmy 目的語を表すmeと形が変わる。
英語に残っている格変化はこんなもんだ。
一方ラテン語はここらへんの格変化は複雑になっている。
もともとインド・ヨーロッパ語族系の言葉は、単語自体が形を変える屈折語という特徴を持っているが、英語はその特徴がだんだん薄まってきた。
だから文頭の単語が主語であり、動詞の次が目的語になるなど、順番が大切になってきたが、もともとの形は単語自体の形が多種多様に変わり、順番は特にきにしなかった。
例をあげよう
薔薇という単語 rosaについてどのように格が変化していくのか表にしてみた。
格 | 単数 | 複数 |
主格 | rosa | rosae |
対格 | rosam | rosas |
属格 | rosae | rosarum |
与格 | rosae | rosis |
奪格 | rosa | rosis |
英語のIだって、単数と複数で6個の変化しかない(I my me we our us)
だがラテン語はこの調子ですべての単語で変化する。
主格は主語だ、対格は目的格でmeに相当する。
属格は所有格でmyに相当する。
与格は間接目的語みたいな格で、give me a chocolateのmeに相当する。(〜に)
奪格は英語とかにはないが、〜によってという意味がある。
ラテン語には前置詞はあるがあまり使われず、この格変化で多様な意味を表現していく。
今後の勉強
今後は、ラテン語翻訳された聖書の創世記を読み進めていくことにする。
そこでいろんな文法上の面白いところをピックアップしていく。
自分はプログラミングもできるのだが、経験上文法だけ練習しても全然身にならないことはわかっている。
こういうときには実践から初めて、実践から自分で法則を見つけていき、体系だてられた教科書をみていくというほうが、インプットとアウトプットがちょうどよく体験でき記憶に定着しやすい。
だから、次回以降は創世記についての翻訳をブログでもやっていく。
なお、ここに書かれている文法については勘違いが含まれていることもある。
あくまで初学者のアウトプットとして読んでくれるとありがたい。
だが無責任に適当なことは書くつもりはない。