ネットを持ち歩けるスマホは高校生の頃の僕の夢だった(依存症か)

いつも使っているスマホ。通信量の上限はあるが、SNSやウェブサイトを見るには困らないネット環境をどこでも提供してくれる。
いまでは普通のことになってしまったけれども、よくよく考えてみれば10年前20年前から見ると本当に夢のようなマシンだと思う。

いつでもどこでできる。これは本当に素晴らしいことだ。
幼少の頃から携帯できる装置に憧れてきた。
ゲームボーイもほしかったけれども、ゲームギアがほしかった。
結局買ってもらえなかったけれども、ゲームギアがほしいと思った理由はやはりテレビがどこでも見れるというあの装置があったからだ。

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いつもある場所じゃないと出来ないことが、トイレでも布団の中でもできるということはものすごい魅力的だった。
本来ならば自分で出向いて何かをするのを、自分側に引き込めるのだ。
これはもう自分がコントロールしているという思いにさせてくれる。

初期のインターネットの頃

自分の家にインターネット接続環境が整備されたのは、確か98年だったと思う。高校1年かそれぐらいの頃だ。
当時の携帯電話やPHSはあったが通話が主な用途で、僕は確かに携帯する魅力を携帯電話に感じていたけれど、でも通話をすることは特に必要性を感じなかった。

インターネットはアニメやゲームの雑誌にURLが載り始めた頃で、同好の人たちが集まる掲示板に書き込めるということも聞き、とにかくやってみたかった。

そこで母親の知り合いが要らなくなったPC9821のWindows98が入っているマシンを譲ってくれるということで、インターネットを始めることになった。

その頃売っているものといえば、ノートパソコンはあっても高価で、だいたいタワー型パソコンが主だったもので、非常に重くとても持ち運びできる物など無かった。

だから狭い自分の勉強机に置くことは出来なかった。

当時はもちろんWI-FIなんてない。
大体は電話線をモデムに繋いで、モデムをパソコンに繋いで近くの基地局に電話をして通信をするようになっていた。(だから通話料が通信時間に応じてかかっていた)

そういうわけでパソコンは電話線の届く範囲に置かなければならなかった。
だけれども昔は電話は玄関に置くのが主流だったし、90年代に建てた家でもリビングに通せばいいということでそこいらに差込口があるようなものでもなかった。うちはリビングとキッチン近くに設置されていた。固定電話もワイアレスの子機があるので、親機を一台おけばいいので差込口は一つ二つでかまわないのだ。
もちろん今の時代でも各部屋に差込口があるわけではないが。

というわけで差込口が限定されているのでパソコンを置く場所も限られていた。結局パソコンを設置したのはリビングの真上にある物置部屋だ。
窓が換気用のものくらいしか無い独房みたいな場所だ。

電気工事の人に差込口を新設しないようにしてもらった。
うちは当初よりISDNにしていた。
ISDNはインターネットのアクセスで電話を使っていても、普通の通話用電話を使えるというものだ。
ターミナルアダプタにモジュラーケーブルを引き込み、そこから分岐して電話とパソコンにつなげるようになっていた。
1階に外からの電話線が繋がっていてそれをそのまま2階に壁を通してつなげてターミナルアダプタにつなげて、折り返して電話用のケーブルをまた同じ道を通って電話につなげた。

その例の窓もほとんどない牢獄のような部屋は冷暖房もない。
冬だったらストーブを持ち込むことはできたが、夏は隣の部屋のクーラーを扇風機をつかって部屋に呼び込むようにしていた。

パソコンの大きさ、そして回線の場所などからどうしてもここしかおけなかった。
自室の机の上においていた友人が羨ましかった。

とにかくこの時はパソコンは大きく自由に持ち運べないものだった。
隣の部屋に持っていくならば長めのLANケーブルを伸ばしていくか、常設するとなれば再び壁に穴を開けなければならなかった。

インターネットの扉は一家に一つ固定された場所にしかなかった。

携帯電話でメールが使えるぞ!

パソコンではIRCチャットやICQなどで友人と夜でも文字で会話していた。
でも、いつでもどこでもというわけではなかった。

ところがウチにパソコンが来て少し経つと携帯電話からもメールが打てるようになったんだ。
携帯電話での通信料金は今では比べ物にならないほど高かったが、同時に通話もとても高かった。
携帯電話のメールは安くコンパクトにいつでも使えるツールになった。

そういえば当時はメールアドレスは携帯電話番号@hogehogeみたいなアドレスだった。
すぐにスパムがくるようになったので初期アドレスはランダム文字列になった。
友人や、ネットで知り合った人には電話番号を教えて、チャットのスピンオフみたいな感じでメールを使うようになった。

携帯電話でもiMODEなどインターネット風のサービスも出てきた。

ただ従量課金でべらぼうに高かった。
パケ死という高額な通信料を払う羽目になった人も居たくらいだ。

それにiMODEなどは携帯キャリア会社が管理している閉じたインターネットになっていたので、いつでもどこでも何かが調べられる。繋げられる。というわけにはいかなかった。

僕が求めていたもの

ネットは2000年位にはADSLが普及しだして常時接続が可能になった。
料金も大幅に安くなり、ブログというものがでてきて、多くの人で賑わうようになったし、好きなこともかけるようになった。

携帯電話も相変わらず通信料は高いけれど機能は増えてきた。

でも、やれることの差というか、アクセスできる量が全然ちがった。
料金もあるけれども、パソコンと同じように自由に行けないようになっていた。

本邦のSNSの先駆けであるmixiがでたら、携帯電話でも携帯電話用のmixiもでてきたころには、携帯の通信料定額制もはじまった。
mixiニュースなどで携帯からでも頻繁にニュースを見れて、
ニュースにコメントもできた。
今のように外に居るときにニュースみてすぐコメントするということが、大体2006年頃にはできるようになったと思う。

でも結局はパソコンじゃないとググって数多のサイトにアクセスすることもできなかったし、ニコニコ動画も見れなかった。

2008年にはTwitterがでたが、Twitterもいつでもどこでもアクセスするにはやはり携帯電話では難しかった。
結局パソコンは必要なものだった。

当時ボクはTwitterを外でも気軽に使えるように、メールでツイートするというサービスを利用していた。

2008年頃まで、少しずつ変化はあるのだけれども、いつでもどこでもパソコンと同じ情報を手に入れられる端末なんてまだまだ無かった。

地下鉄も電波が切れるし、ネットにつなげて得られたとして全然今のような情報量にはアクセスできなかった。
通勤時間帯は本当に何もできなかったし、パソコンで見ないとわからないこととかも多く、早く家に帰りたかった。

今欲しいものが手に入っていた

2010年頃からiPhoneやアンドロイドが普及し始めてきて、
通信料金も安くなり、それに合わせて各サイトもスマホに対応してきて
アプリも増えてきた。
98年頃では、いつでもできるネットを望んでいて、少しずつ持ち歩けるようになったけれども、いつもやっぱり不満はあった。見たいものがみれないとか、大したもの見れないのに値段が高いとか、
でも2010年頃にようやくネットを持ち歩けるようになった。

それに実は昔の夢がかなってるってことに気づいていなかった。普通のことというか前年より少し良くなったなくらいは思っていた。

いまでは通信は常時接続とは行かないがNetflixなどは動画DLができていて、電車で映画が見れる。
改めて思うと、98年の頃から比べればものすごい進化だ。

あの頃夢見た、家から遠く離れた場所でチャットをいつでもして、ゲームもできるというのは、もう現実になっていたんだ。

少しずつ変わっていったので当然と思っていたけれども、
ライフスタイルはだいぶ変わった。

いつでもどこでもネットワークとつながる端末をほとんどの人が持っている2018年。どこのSFだよ。
改めて僕らの置かれている状況をみてみればつくづくSFじみてきたと思ってしまう。

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