懐かしきヤフーチャット あれは青春だったのかもしれない

かつて存在したヤフーチャット。

ちょっと前にある通り魔が逮捕のときに叫んだとされる「ヤフーチャット万歳!」のヤフーチャットである。

それよりも前にサービス終了して今はなくなったけれど、インターネット普及初期にエントリー用としてかなり賑わっていた。

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ヤフー自体が日本にとってのインターネットの入口みたいな役割をしていた。

ヤフーBBがブロードバンド契約の投げ売りみたいなのやって急激にインターネット人口がふえて、ポータルサイトとしてヤフーを使う人がほとんどだった。

そこでチャットやりたい人はヤフーチャットに流れていった

ヤフーチャットの機能

2001年ごろヤフーチャットは高機能だった。

windows用のソフトがあった。

ボイスとビデオチャットができた。

チャットの中にはジャンルが別れていてその中でユーザーが部屋を作れた。

ボイスは一人が喋っていたら同時にはしゃべれないトランシーバーみたいなもんだったが当時は遠くの人に声が届くすごいもんだと思ってた。

カメラで中継もできたのもすごかった

ヤフーメッセンジャーという今で言うパソコンで使うLINEみたいなソフトもあって、それと一緒に使うことで仲良くなった人と連絡とったりもできた。

ヤフーチャットへ初参加!

IRCでのチャットをずっと続けていたが、だんだん人が減ってきた。

逆にめんどくさい人が増えてきた。

IRCの人たちはオタクが多かったけれど、常駐しているような人たちはパソコン通信からそういうことやってたり、サバ管してたりと、ギークな人が多かった。

チャットの選択肢が増えると新しい人はもっとフレンドリーな方に行き、IRCではガチな人しか残らなくなってきた。

親しい人も減ってきて、チャットルーム開拓しようとしてもガチ勢しか来ないから、もっと広いジャンルの人を探そうと新天地ヤフーチャットに行った。

IRCでは見かけなくなった初心者や高校生がヤフーチャットにはたくさんいたのだ。

そこで僕はある人がよく集まりそうなチャットルームの常連になることにした。

出会いがあるかも!

でも、僕はそんな出会い厨みたいな真似をしない。
殺伐としたIRCでの経験もあるので、ある程度距離感をもちつつ話をするという技を使うことにした。

そしたらバンバン周りはOFF会とかやってアッチでカップル成立、こっちでカップル成立などあれよあれよという感じで青春集団みたいになっていった。

だが、僕は焦らない。なぜなら別にチャットは出会いとかそういうのを求めてやっているわけではないし、仮にそういう関係に発展したとしても副次的な効果によるものだし…
そう言い聞かせていた。いまでもこれは真理だと思っている。別に恋愛談義をしにチャットしているわけではないのだ。

その証拠に僕は男女隔てなく親しくなる人が増えた。

初めてのOFF会

その居着いたチャットルームは、当時35くらいのおっさんが管理人をやっていて、若い男女にも隔てなく接して人が話しやすくするような雰囲気を醸し出す人だった。所謂イケイケってやつだ。
今で言うベンチャーやってそうなイメージ。
離婚済みの子持ちおっさん。

今で言うなんかベンチャーやってそうっていうイメージ

そのおっさんはチャットルーム管理を一生懸命やって、新しい人とも接して、たしか関西の方の人だったけれど東京の方にもわざわざきてOFF会とかやっている人だった。
金持ってるな

OFF会ひらいたら若い人とかに囲まれてニコニコして、高校生とかもいるから昼間普通のレストランやカラオケでノンアルコールでやった。
移動中に小学生の遠足みたいに男女で手をつないでいこうとか言ってさ。
今思えばヤベー奴だと思うけれど、まだ僕も18歳か19歳くらいの若造だったので、「すげーコミュ強!!」って思った。

ある日そのコミュ強おっさんは、チャットルームのメンバーの21歳位の女の子と付き合ったと報告した。
30代のおっさんだよ。
イケイケな雰囲気が加速してよりリア充空間になっていった。

非リア充である僕は何をしていたのか?
そこでも空気を読まずにガンダムとかの話をして、一部話の通じる人たちと薄く広く付き合いを続けるようにしていた。
率先してリア充の中心に行こうとはせず衛星の様にリア充空間の周りを回っていたというイメージだ。

チャットルーム崩壊

このチャットルームは、ヤフーチャットの中でもかなりの規模を誇るようになってきた。
新しい人も常に入ってくる。

しかし、その牙城の内情は意外と脆かった。

そのほころびは少しずつ見えてきた。

まず、いまのTwitterではそんなにでもないフザケとかでも、コミュ強おっさんの常識から外れると説教される。
大体参加者は高校生から20代前半くらいなので、「たしかに大人の言うことは最もだ」みたいな雰囲気になる。

ある時、ネカマが発覚した時があった。
新しく参加してきた○美ちゃんはボイスにも参加せず、文字だけで可愛く対応していた。
凄く文面は可愛い感じだし、写真もかわいかった。
コミュ強おっさんは「ボイスしてよー」とだいぶしつこかったが、ある日○美ちゃんはその圧力に堪えきれず告白してしまった。
「自分は男です。」

そこからおっさんの説教タイム。
人を騙したとか何とか、一通り人格否定をしたあと、「でもこれで僕らのファミリーだ。おかえり!」みたいに変な気持ち悪いフォローを入れたが、結局その後○美(男)さんの姿は無かった。

もうわかったと思うがつまり、だいぶモラハラ気質だったのだ。

そんなある日、古参メンバーが追放された。
僕はその追放の時を見ていないので詳しくわからなかったが、
たしかオッサンがいないときに古参メンバーがオッサンのことを悪く言ったというレベルではないが、ちょっと揶揄したような発言をしたようだ。
「若い子好きだからなー」みたいなそういうのを。

それを又聞きでしったのか、オッサンは怒り心頭で古参メンバーを追放した。

すると「ちょっと独善すぎるんじゃないの?貴方がいない間でもコミュニティができていて部屋は貴方のものだけじゃないんじゃないの?」みたいな反発があったり、「まあまあ古参さんも悪気があったわけじゃないんだよ。追放はやりすぎ何じゃない?」みたいなフォローがあったりしたのだが、
それらをしたすべての人をまとめて追放した。

つまり意見を言う人はほしくなかったようなのだ。

それで、「独裁者かよ」みたいな批判が当然でてくるわけだが、中には親オッサン派もいて「悪法も法だ。管理人の方針は守るべきだ」みたいなやつもいた。
オッサンの彼女は「みんなと仲良くなったのに…でも私はついていくから…」と従順さをアピール。

古参メンバーを中心に自由なチャットルームが作られて6割くらいが移ることになったのだが、オッサンはそのチャットルームに参加した奴は敷居をまたがせないとまでいい完全にメンバーは分裂。

中には別アカウントを作って、両方に参加をする器用な人もいたけれども、まあそれは僕だけれども、結局オッサンのチャットルームはだんだんしぼんで行った。そのうちオッサンはログインもしなくなったようだ。

一方で古参メンバーで立ち上げた自由なチャットルームだが、オッサンのように熱心に人を集めようというカリスマも無かったので、人の定着はあまりよくなかった。

それぞれのメンバーは自分にあったチャットルームに行くようになり、小さなルームたちが乱立するようになってしまった。

アレキサンドロス死後のマケドニアのようなものだ。

僕はだれにも対立することなく、誰にも入れ込むことなく流動的に面白そうなところについていくという処世術をIRCで得ていた。
ダメージを受けることもなく、炎上することもなく、あまり目立ちもしないという今に通じる行動はすでにこの頃から行っていた。

ヤフーチャットその後

ヤフーチャットは僕にしてみれば面白かった。
今から見れば情弱の極みのような知識しか無かった僕だけれども、それでも当時の初心者にとっては結構パソコンをしているという部類だったわけだ。

だから、初心者にたいしてちょっと得意げにパソコンの使い方を教えられるという、ちょっと痛い行動で承認欲求を満たしていた。

オッサンが失脚した後、部屋が散り散りになってそれぞれの部屋で固定したメンバーのみ参加する排他的な感じになっていくに従って僕の居場所はなくなった。

一時期ルームを立ち上げたことはあるけれども、それでもそんなに人はこなかった。
オッサンのように人たらしじゃなかったからだ。

その後数年遅れで大学受験をやりたいと思った僕は19歳の終わりから受験勉強を始めるときにはヤフーチャットには入らなくなってきた。
受験勉強を本格化するときにはパソコンすら開かなくなった。

2001年から2002年ごろまでいたんだと思う。
2003年は大学受験の年で、2004年に大学に入学した。

その頃にはすでにチャットとかする気はなかったが、その年に大きな波が来る。
mixiだ。

ヤフーチャットのときにできた友人は、その後一部mixiで再び繋がることができ、さらに一人だけTwitterでもフォローしあえるようになった。

 

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