文系プログラマだがちゃんとやれているのだろうか

文系プログラマ(便宜的にそう呼ぶ)になったけど大変だった人の話が話題になった。

僕も文学部出身ということで、文系プログラマのカテゴリに入るんだろうな。

最近、特に未経験者のエンジニア募集がかかっていて結構その流れでやろうと思う人が多いのかもしれない

文系プログラマのイメージ

そもそも、文理を分けるというのは僕はすきではないし、世の中のものはそれほど分けられるものでもないだろう。

確かに数学は受験科目に入っていないし、古文は受験科目に入っていた。
だが、それは大学の受験科目の話でしかない。

ものすごく高度な専門の学問をするわけでもないし、文理の違いは結構埋められると思う。

それに、全く別れている分野でもないでしょう。
自然言語解析なんて文法が必要になる。
古天文学なんてのは古文と天文学が融合している。

まあ、プログラミングは理系のイメージは世間ではもっていて、その中で文系の人がやるとなると、
躓きそうとか、コードが読めない人になりそうとか、そういう印象を持つ人は業界の内外問わずいると思う。

でも、そんなにプログラミングに対してハンデを背負った人ではないよとは思う。

僕はちゃんとやれているのか?

さて、僕は文学部卒業という文系の極北なのだが、残念ながら大して文章を書けないという残念文学士である。

だが、一応プログラミングはできると思う。
苦労してやっているわけでもなく、ついさっきも自分のために書くほどには楽しんでやっている

それでご飯は食べているし、国家資格も基本情報、応用情報、登録セキスペは持っている。

だが、本当にやれているかどうかは分からない。

たまたま今いる会社は僕にお金を払ってはいるが、世間的にみたら過剰にお金を払われているようなスキルレベルかもしれない。

プログラミングに関する基礎的な学問的土台は脆弱なのはわかる。
ちゃんと基礎がある人は、例えば処理の重さが次第に増加していくような振る舞いを見せるような場面が合った時に、微分とか使って予測を立てたりできるんでしょう。
僕はそういうところは雰囲気でやっている。

だが、ある程度ならやれていると思う

ある程度ならやれているとは思う。

それは、やはりある程度のものは自分で作れるという自信はあるからだ

自分が作りたいなと思うものを、ある程度具体的に計画を立てて、それなりには作れる。
美大で専門的な勉強を指定なくてもマンガがかけるような話だと思う。

じゃあ、できる人とできない人の違いは何なんだろうか?そう思う人もいるが、僕が分析しても所詮生存者バイアスがかかるだけなので、あまり意味がない分析だろう。

少なくともなんか文理とは関係ない素質というか、楽しいなと思う気持ちがあればなんとなくできるのではないだろうか。

ちなみ僕がプログラミングを初めて触った頃にたのしかったことは、forで足し算を沢山して合計値を出すとか、味気ないと思われがちな処理だった。

人間のはるか上を行く計算スピードで自由に足し引くができるのが楽しかった。

だから、自分でなんか問題を作って計算をしたり、ある文章の中のひらがな個数ランキングなど「それをしってどうなるんだ」的なものでも楽しんで目標立てて遊んた。

仕事とかスキルとかそういう肩肘張ってやると、義務感が出たり焦りがでたりして、あまり精神衛生上よくないと思う。

それが好きという気持ちから心を遠ざけてしまう原因にもなる。

もっと、素朴に自分自信が楽しむことが重要だろう

それでもできない人もいるんだろう

文理関係なく本当にプログラミングが苦手な人っていると思う。

それは適性なんだと思う。

僕は絵が下手だ。ちゃんと描いたことはないが、描くことになったら結構大変なのかもしれない。
すぐに模写できる人と違って僕は目が歪んで見えるのかというほどに見てるものが違うかもしれない。

そういうレベルでの違いはプログラミングにもあると思う。
僕は脳内でデータの流れとか考えるのはできるし楽しいと感じているが、
それを考えることが難しいと感じる人はいるだろう

でも、もうちょっとやってみたいと思うなら、自分自信のために楽しむプログラミングの時間を取ってみたら何か分かるかもしれない。

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