就職活動という1次元サバイバル

就活で、悪目立ちをしないようにみんなと同じリクルートスーツに身を固め、
良い企業に入れれば良く、選考に落とされるのは実力不足で、程度が低い学生はどこにも入れなく、優秀な生徒はどこでも選び放題

というサバイバルな世界に身をおいている学生たちは相当ストレスがたまっているんだろうなと思う。

特に選考に落とされるのはきつかろう。

就活というか、就職というのは、会社の仕事ができるか、自社の文化にあっているかということで選考をして、学生も自分にとってあっているかどうかという視点で選び、お互いの利害が一致すればお互いに内定を出す。というのが理想的だと思うのだが

学校教育に身をおいていると、試験の難易度と自分の実力で入れるかどうかが決まると思ってしまう癖が抜けないと思う。
それは30代半ばになった自分でもその癖は抜けていない。

人には向き不向きはあるし、仕事の内容でも違うわけだ。

東大の法学部を出ているけれども人見知りと、普通の大学を出ているけれど人が大好きな場合どっちが営業に向いているかそれは一目瞭然だし、
そういう人となりをみて会社は内定を出しているのだと思う

学校教育の癖だと、優秀な学生の方が点数が高く、面接での減点がない限り内定が取れるとか思ってしまいがち

内定が取れなかったといっても、ただマッチングしなかっただけなんだから、気に病むことはない

と、理想を書いてみたが、

会社側も学校教育の癖が抜けていないのだ。

役職が高ければ、学歴が良ければ、点数が高く優秀で良いという考えを持っている人も多い。
1次元でしか考えられていないわけだ。

ピーターの法則にもつながるが、必ずしもある仕事に優秀なパフォーマンスを出す人が、別の仕事で優秀であるわけではないし、ましてや役職が高ければ優秀なパフォーマンスを出せるわけでもない。

だが、カースト制みたいな階層が大好きな人たちは、それでしか相手を測れない

だから、逆に学歴フィルタで落とされたならば、それはラッキーと思おう
1次元でしか相手を見れない上司の元で働かなくて済んだと思えば良いのだ

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