マナーについて考えたこと

マナー、謎マナー、新マナー、我々反骨精神をもつものにとっては『意味のない因習』のような印象を持つ言葉

だが、多くの人に支持されているマナーは守らなければならないという気持ちも当然ある。
電車の中で走らないとか、傘は横持ちをしないとか

マナーとは何なんだろうか
いわゆる暗黙のルールみたいなものだ
ではなぜルールが必要なのか

たとえば小学校への通学路は学校が決めていることが多い。
交通事情や多くの児童が通っても混まない道などが選ばれる。

個人個人ではもっと良い道があると思っている。
たとえそれぞれの個人が、自己中にならないように皆のためを思ってルートを決めても、100人いたら何十通りの通学路が出来上がってしまう。

それぞれがそれぞれでメリットもあるしデメリットもある。

それをそれぞれが主張したら決まるものも決まらないので、ルールとして決める必要がある。
だから学校が決める

マナーも同じで、解決策がそれぞれあって、それぞれでいい面があっても全員で一つのものを守らなければならない時には、それぞれが自分の考えた良い解決策を使っても意味はない。

電話の要件の聞き方のマナーとかは、要件を聞き逃さないために生まれたわけだが、全員がそのプロトコルを使わないとうまく機能しない。

最強の電話の要件の聞き方があるかもしれないが、全員がそれを使わないとうまく行かないだろう

コロナの流行に際して、マスクをする、ソーシャルディスタンスを守るというのも全員が行わなければ意味がない。

全員に行わせるには、理屈を説明してやるという方法を最初は取られるが、ほとんどの人に合意が取れてくると、新人の人には「こういうものだから」と意図がわからないまま受け継がれてくるようになる。これがマナーだと思う。

マナーとは、社会や集団において全体での最適な行動を取るための共通のプロトコル。そしてそれぞれにデメリットはあるが、全員でそれを行うことで利益がある。

死んでいるマナーもある。

口伝でプロトコルが伝えられていくうちに、意図が伝わらず行動だけが残り、その行動が変化したり、別のところにスピンオフしたりするパターンだ。

上司にビールを注ぐときにはラベルを上にしなければならないというのは、
ウソかマコトか分からぬがもともとは薬品を注ぐときにはラベルを上にしなければならない。間違いがその時に気づくから。という安全のためのプロトコルが、上司との酒席の場にスピンオフしたものだそうだ。

これはなんの意図も利益もなくただ行動だけが独り歩きしたマナー、つまり死んだマナーだ。

マナーは集団の利益のためのプロトコルだという視点をもって、たまにマナーの棚卸しをして、捨てるものは捨てていったほうがいい。

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