『私はいいけど、他の人はどう思うかな』は改善を妨げる思考停止

二週間くらい有休とってもいいかな?
アプリとかウェブサービスを作って副業したいけどいいかな?
こんな意味のないドキュメント廃止にしたい。
熱が37度あって休みたい。

こういう相談を受けた同僚なり上司が言う言葉

『私はいいと思うけれど、他の人(もしくは会社や経営陣)はどう思うかな?やっぱり自粛したほうがいいよ』

こういう言い方は、現在ある問題点を目をつぶり、且つそれを先延ばしにすることを促した自分の責任を他人(もしくは場の空気)に転嫁している卑怯な言い方だともう。

自分がいいと思っているならば賛成すればいいじゃないか。
社則なり何なりで禁止にされていたりすれば、相応の理由をのべて反対すればいいじゃないか。
自分で判断がつかなければ、判断ができる人のところに行くように促せばいいじゃないか。

そこにはやはり問題点が潜んでいるとおもうわけだ。
副業の規定とか、伝統で続けているだけの業務とか、
昔の誰かが作った決まりが理念もなく続いているだけの場合があるかもしれない

有休や病欠の取りづらい職場環境があるならば、
業務の割り振りで一人がかけても業務が回るように改善するとか、それでも業務が多いならば
人員を増やすとか、それでもお金が足りないならば仕事を安く請負過ぎているとか、そういう問題点が分かってきて
より良く改善されるヒントになる。

でも、誰もが責任をとらず空気を責任主体にして逃げる。

本音を言わない日本人の特性

日本人は、議論、批判、失敗、責任を極端に避けている。

経営批判になるとか、議論をして相手を個人攻撃していると思われるのがいやだとか
改善を提案して失敗したら責任を取らされるとか。

そういう意識が改善を停滞させて、空気を責任主体にしているのではないか?

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