【バスケ部体罰問題】体罰だけが問題なわけではない

昨日に引き続きバスケ部主将が顧問の体罰による自殺について書く。

この生徒が前日に顧問から体罰を受けていたという事が発覚してから、
体罰の有無や体罰の禁止について言われているが、体罰だけが問題なのか?
体罰は問題の一つの類型であって、物理的な暴力を伴わない精神的な暴力による罰も問題ではないのか?

たとえば、ビンタや拳骨をしなくても指導と称して人格否定発言や
夜遅くまで強要される練習などで常にストレスを与える環境であったらどうであろう。
そのような環境で仕事を強いられて自ら命を絶つ労働者も少なくないのだから、体罰を伴わなくてもこのような指導で命を絶つ生徒がいたとしてもおかしくない。

労働問題の文脈であればそのような指導はパワハラとして問題となる。
もちろん日本ではその分野の法整備や企業の認知は依然低いと認めなければならないが、少なくともパワハラについては問題提起はされているし
少ないながらも労災認定されたり、企業に責任を求められたりしている。

今回の件で教育現場における体罰だけクローズアップされているが、
それだけでは不十分だ。
教育でも労働でもパワハラはパワハラである。
教育的指導だからといって仕事で認められていないことが許されるということはないだろう。

また、体罰が躾け上必要であるという意見もあるだろう。
子どもの教育に置いて自分の痛みを知るということも必要なのかもしれない。
しかし、もしそのような場合に体罰が許されるのだとしても、それは小学生くらいの子どもが本当にやってはいけない反社会的行為(例えば友達の財布を取るとか、万引きをするとか)に対してするようなものであって、日々の練習のミスなどで頻繁に使って良いものではない。
それに、怪我をさせていいものではない。
年少者に怒っている、やってはならない事だと分からせる事には有効なのかもしれないが、本当に怪我をさせるのはやり過ぎである。
そしてたとえ子どもが悪いことをした場合の体罰が許されたとしても、逃げ道をふさぐような事をすべきでない。行為をしたことを責めても人格を否定すべきではない。
もし許される体罰が有るとしたら、そのような限定された体罰であるべきであり、その体罰にも議論の余地が残されている。

今回の件では、体罰を使って良いケースとはいえないケースで体罰を多用し、
容易に逃げられない主将という立場により逃げられない状況になったことは否めない。
そのような体罰は躾けでも教育でも無い。
仕事と称して過重労働させたり非人道的な扱いをするブラック企業が行うパワハラと同じだ。
許されるかどうか議論されるようなタイプの体罰からも逸脱している行為である。

今回の件でもし体罰が表面上は無くなったとしても、
依然高圧的な教育と称するパワハラが続く恐れもある。
問題を体罰だけに限定せずパワハラを伴うような恐怖による指導を根絶し、その中で体罰も見直されるという事が大切だ。

 

 

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