辞められない部活、辞められないリーダー。耐えることは美徳なのか?

バスケ部顧問による体罰問題について

その生徒はとても責任感が強くまじめな性格であったと報道されているが、そのような人が鬱病を患ったり病気休職や病気退職になっている。
困難な状況に陥っても誰の助けも得られず、心身を壊してしまう。
こういう状況では周りの理解や協力のもと、仕事の見直し等を行う事が望ましく、
それでも改善されない場合は、自滅する前に転職等をして過労死や鬱病にならないように回避する事がいい。
仕事に責任が有ったとしても、生活を犠牲にしてまでする必要はない。

今はどうかはわからないけれど、僕が中学生のころは部活を辞めることは許されない事になっていた。
責任感のため、「逃げる」癖をつけさせないためとか説明をされていたが、その為に自滅的勤勉さを身につけさせてはいないか?
会社が倒産しそうな時に余裕が有る時に退職をするという「逃げ」というのも必要だ。
もちろん経営者であれば経営をほったらかして退職できないという責任が有るだろうが、
その分経営に関する権限は大きいし裁量を認められているし、自由度はある。
だが、一社員のような権限のない者が割を食って逃げられないという状況は不健全だ。

また経営者でも割に合わない元請けの不条理な取引などを強いられることもあるだろうが、
そういう場合でも石に噛り付いてもやり遂げるとか、不条理な顧客の要望に無理をして答えるなどをして疲弊していくということもあるが、
断ったり自分たちの利益になることを優先するという事が必要であろう。

つまり、我慢をして不条理に耐えることよりも
臨機応変に辞めたり逃げたりすることも時には必要ってことだ。

何が何でも辞めてはならないとか、そういう価値観を若い時に植えつけると、本当に大切な行動を狭めてしまうのではないか?
辞める選択肢を無くすよりも、自分の責任で辞める自由を持たせた方が自律した行動ができる人間になるのではないか?

もちろん主将というポジションは重要であるが、いつ誰かが抜けても良いような体制にして置くことが指導者の務めだ。
心身の不調はいつどこで起きるかわからないわけで、それを根性や精神で切り抜けられるほど人間は便利ではない。
顧問が部員のリソース管理もリスクマネジメントも怠り、体罰や恫喝で部を運営した事は怠慢である。

もちろん、辞める人間もただ行き成り辞めるというわけにはいかない。
指導者に相談したり主将の後継者を用意したり、引き継ぎしたり、そういう事が必要だ。それが責任だ。
だが部活に置いての責任ってのはこれくらいだろう。
心身に不調をきたしたり、絶望するほど石に噛り付いてもやり遂げるというのは過剰な責任だ。

もちろん辞めるより残ったほうが良いこともある。
そのスポーツ自体は好きだったり、続けていたかったりすることだってある。
辞めることは最後の手段としてとっておきつつも、リーダー職を辞すとかそういう選択肢もあってもいい。

主将は顧問に対して今の思いを書いた手紙をしたためたそうだが、
他のメンバーが「そんなことを書いたらまた怒られるぞ」という言葉で手紙を渡すことをしなかったという。
顧問の恐怖による統治はこのように予期せぬ事態を隠すする体制を作ったわけだ。

逃げることも許されず、顧問の気に入らない事は隠され、こうして組織は破滅の方向に舵を切ったわけだ。
自分で考える事をせず、顔色をうかがうということが果たして自律した大人にさせる教育なのか?

 

 

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