頭ごなしの禁止や連帯責任はブラック管理者に都合いい

頭ごなしの禁止や連帯責任は誠にブラック企業、ブラック管理者に都合が良い仕組みだ。

あることを禁止して、それが発覚したら連帯責任ということになったら、
従業員が自主的に禁止されていることを隠蔽してくれる。
さらに管理者や経営者は従業員が勝手に隠したということで責任を逃れることができる。

バグ発生厳禁を厳命されたソフトウェア開発現場では、バグを隠蔽することになり
結果的に品質が最悪になったとか言う話がある。

残業絶対禁止という職場ではサービス残業が横行してしまうということもある。
このように、負の連帯というのが生まれやすくなる。
サビ残などでは経営者は従業員が自発的に行ったと言えるしね。

もっとも、このような隠蔽効果を意図的に行なっているというわけでい場合もあって、
往々にして問題解決のプロセスを考えることができず、禁止という事を現場に押し付けるだけで満足しているということもある。
他にも気が弱くて逆に立場を利用して強く連帯責任性をとって部下の足を引っ張りあわせて、権力に酔うというブラック上司もいるだろう。

大阪市の体罰問題について

時に、橋下市長の体罰を起こした高校の対処として
体罰を禁止にし、問題の高校に対しては入試禁止という措置を取るということで、
上に書いたような隠蔽体質を強化するリスクというのがある。

 

体罰問題にみる橋下氏の危機管理能力の欠如

↑このブログでも指摘されていたことだが、これに同意する。

ここでも指摘されていた通り、入試中止措置や体育科廃止は生徒にも受験生にも影響が甚大であって、
体罰がもし行われていたとしても生徒側からは言いづらくなるということもあるし、生徒の立場も弱くなってしまう。

もしこれで体罰が再発したとしても、市長は現場が禁を破ったと言い訳もできる。

橋下氏の発言は、公務員のことにしてもブラック企業的なところが多いが、
この問題の対処についてもブラック的と言わざるを得ないな。

こういうブラック企業的な頭ごなしの禁止や、連帯責任方式は現場の人間を萎縮させる事になるし、
相対的に命令を下した側は力を意識できる。
橋下氏が庶民側の立場でこのような対策を問題の高校に取ると、橋下氏に賛同している人も『悪い高校や悪い教師に一矢報いた!』という気持ちになるのだろう。
公務員のことについても、公務員の優遇に不満を持っていた人の溜飲を下げることになっただろう。
だが、それまでだとは思う。
既成権力を壊そうという気持ちだけが先行して、本来何が問題なのかと言うのが見えなくなっている。
ポピュリストと僕が思うのもそこなんだよ。

このようなポピュリズム的な対策では、体罰を恨んでいる人の一時の溜飲を下げることには役に立つと思うけれど、
根本的な問題解決にはならない。

冒頭の例を続けるけれど、
残業が多いという問題があれば、禁止をしたり禁を破った部署にお叱りが飛んでくるという対策よりも
何処に人手が足りないか、無駄な業務プロセスはないか、何に稼働がかかっているかなどの分析から対策を考えるのが正しい道でしょう。
バグであれば、絶対出すなと言われても出るものは仕方ないんだから、何処のフェーズでどの程度出るのかということを分析して、
その上で人員を変えるとか、開発手法を変えてみるとか、テスト方法を見なおしてみるとか、
品質向上の正しい手法を合理的に取り入れていくというのが正しい対策でしょう。

体罰問題だって、なんで教諭の体罰が見過ごされたのか、見過ごした要因は何か、そしてなんで体罰を行ったのかという事を分析すれば
勝利絶対思想が有ったとか、体罰の効果を信じていたとか、校長にも部活動の内部はブラックボックスであったとか問題がでてくるでしょう。
その上でチームマネジメントの研修を受けさせるとか、監査の仕組みを作るとか、勝利が絶対ではなくそのプロセスも評価する仕組みを作るとかそういう対策を取れるでしょう。

頭ごなしの禁止は、体罰によるミスを減らすあの教師の教育方法と同じに思える。
ブラック企業の持つブラックな問題をブラック経営者がブラック手法で解決しようとしているようにしか見えない。

おそらく体罰の何が問題なのかというもは市長はわかっていないのかもしれない。
でも人々はそれを批判しているからそっちになびいて体罰を攻撃しているだけで、
元々がブラック的なので対策もブラックにならざるを得ないといったところか。

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