日本人の宗教観は臨機応変である意味適当

日本人は大体の人は無神論者だと思っていそう。
「宗教は何を信仰していますか?」て質問をしたら、「無宗教です。」とか「家では○○宗ですけどよくわかりません。個人的には無宗教です。」
などの答えが多いと思う。
初詣やお盆などを行うけれど、それは信仰心はないけれど伝統的なイベントとしてやっているだけという認識がほとんどじゃないかな。
だからクリスマスやハロウィーンみたいな西洋の宗教に結びついた行事も換骨奪胎して日本的なアレンジを加えてお祭りに変えてしまう。

でも、一方で神社やお寺に関しては神聖な雰囲気を感じ取ったり、お地蔵さんやお墓を無碍に扱うことはできない。
幽霊や祟りというものを信じている人も多く、中には悪魔などの西洋のものも信じている人もいる。
幽霊や祟りがどうして宗教と結びつくのかと思う人もいるだろうけれど、霊魂や祟りというのは神道の考え方だからね。
昔からの信仰が生活に根付いているわけだ。

でも、科学とも上手く折り合いをつけている。
幽霊などの超常現象は有り得ないと思いつつも、何処かで信じている。
でも非科学的であって、実生活とは分けて考えている。

アメリカだと、やはりキリスト教の影響が強くて進化論を教えてはならないと思っている人も多い。
IDという、神とは明言しないが何かしらの知的な存在が人間などをデザインしたという説を教育でも教えるべきだという考えもあるそうだ。
もっとも日本でも全員が科学と信仰を分けて考えられる人なわけではなく、疑似科学やカルト宗教にハマるという人も多い。
だけれどもそれは一部の人で、国民的議論で科学vs信仰ということが争うまでになってはいない。

日本人は上手く無宗教と信仰を使い分けて生きているね。
そして異文化、他国の宗教に対してもおおらかで、すぐ取り入れてしまう。

僕はそんな訳で宗教の掛け持ちというのをしたい。
カトリックの儀式や伝統がカッコよく感じてしまって、洗礼を受けたい。
きっと僕ならばカトリックモードの場合であれば聖別された水を恭しく扱うこともできるし、父なる神が創造したという世界観も信じることができるだろう。
でも浄土宗でもありたい。
先祖代々の伝統を守るってこともあるけれどね。
そしてやはり神道を信じるのは捨てられない。
そこら辺の物にも神さまはいるって思えるし、祟りとかそういうことも起きるとおもってしまうしね。
その一方でやはり科学実証主義であるという事は否定できない。

きっと宗教の掛け持ちが簡単にできるという人は僕の他にも沢山いるだろうけれど、
外国人には理解できないんだろうな。
もっとも掛け持ちができるってことは全部どれも信じていないってことなのかもしれない。

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