失敗を恐れて成功をしない人ってのはいるよね。
僕のことだけどね。
『嫌われたくない人たち』という増田があったので、ふとそう思った。
僕は今までの投稿でも、日本は失敗を許さない社会だと言ってきた。
減点方式のテスト、就活、ニートなどのドロップした人の再起が難しい。そういう面は確かにある。
失敗を許さない社会かもしれないけれど、でも結局は自分がそれを抜け出せるかどうかという個人的な戦いが必要だとおもう。
社会の所為とかいっていても、どん底になってしまったら誰かが助けてくれるわけでもない。
だったら、失敗を恐れない訓練をして行かなければならないのではないか?
会社や上司が失敗を許してくれないかもしれないが、それでも保身に走って失敗はしないが成功もしないような生き方をしていてはダメだ。
先ほどのリンク先の記事にもあるが、嫌われたくない人と好かれたい人の違いというのはこの失敗したくない人と成功したい人との関係と相似だな。
嫌われたくない人というのは、自分を嫌うかもしれない人が最終的に嫌わないように被害を最小限に抑えようとすることに気を取られて、
自分を好きになってくれるかもしれない人を逃しているんだ。
全員が全員好きになってくれるわけないのに、当たり障りのない事を言って八方美人で有ったら、当たり障りのない関係しか築けない。
極端な例だけれども、アンチがすっごい多いツイッターアカウントとかブロガーとかいるけれど、でも同じように好いてくれるファンってのは根強くいたりするんだよね。
嫌われている分好かれている幅も広くなっているんだ。
それが人間関係としての成功かどうかは別だが、少なくとも誰にも嫌われないように自分を変えている関係よりは楽なんだと思う。
失敗と成功も似たようなもんなんだろうな。
何を持って成功かどうかはわからないが、一つでも自分が成功したと思うことを強みにしていって失敗したことを成功したことでカバーしていけばいいじゃない。
それで社会が、会社が、上司が認めてくれるかはわからないけれども、自分自身が成功したことを信じていけば攻めるべき時に守ってしまう弱さを克服できるんじゃないか。
小さな失敗で会社内での出世の道が閉ざされるかもしれないけれど、転職してキャリアアップをしたり起業をしたりと前のめりに攻めていける強みになると思うんだ。
だからとりあえずやってみる。
転職しようとして面接官にボロクソに言われるかもしれないが、何かサービスたちあげて最悪のレビューがつくかもしれないが、
何か漫画や小説を書いて2chで笑われるかもしれないが、とりあえずやってみないことには何も始まらない。
やらないで失敗した事を笑う側に行くよりも、やって失敗して笑われる方がいい。
でも、きっとそれは本当に辛い。
炎上しても持論を曲げない人は本当にすごい。