数値だけ気にする人がいるよね。
例えば女の子の体重だ。
身体測定の前日の食事と朝食を抜いて体重を減らして、数値をなるべく減らそうと試みていることとかさ。
あれ意味無いとおもう。
ボクサーのように階級が変わるわけじゃないでしょう。そして体重が公表されるわけじゃないでしょう。
こんな事言ったら、女心わかっていない!!って言われそうだけど、その女心とやらでスタイルが良くなったり他の女子よりも優位に立てるならば文句は言わない。
別にダイエットやスタイルを良くすることを否定しているわけじゃないよ。
日常的にスタイルを保つための指標として毎日体重を測って、その上で減らす目標をきめたりというのは理に適っている。
体重は指針であって数値を減らすことが目的じゃないのに、目的化しているよ。
ガリガリに痩せて本来あるべきところに肉がついていなくても数値だけ減らして満足してしまう人もいるみたいだし。
この他にも偏差値を模試で上げることだけに注力する人とか偶にいる。
模試のために勉強しちゃうタイプね。
あれも又意味がない。
受験にパスするために今自分がどの位置にいるか、志望校は何処のレベルにあるのかを分析するために偏差値はある。
模試でいつもと違う力を出しちゃうと分析に誤差が生じちゃうから、あまりやっちゃいけないよね。
数字というのは便利で、定量的に現在の成果を確認するには最適だ。
学力にしてもスタイルにしても、偏差値や体重という関連のある数値で実力を判断できる。
でも、それは学力やスタイルの本質ではない。
スタイルというのは体重の他にも、バランスや見た目や総合的な美しさから評価されて、その一つの面を数値で客観的に表しただけで、体重が多くても背や胸が有ったら綺麗だと映ることもある。
偏差値にしても、その数値で大学は学生を採用するわけではない。最終的に試験に合格するかどうかなんだ。もちろん合格者の学力はある一定の偏差値に収斂するんだろうけれど、偏差値に一喜一憂しているよりは偏差値を単なる指標としてみて、前向きに勉強するほうが建設的だ。
数値は定量的に判断できるだろうけれど、最終的にどうしたいかという定性的な目標がやはり大事だよ。
数値が目的化してしまった例というのは、様々な場面で見られる。
マクドナルドの60秒チャレンジも、満足度を60秒の短い提供時間という数値を目標にしたけれど、顧客満足には程遠い品質の商品を提供されたりということもあったそうだ。
もちろん利益を上げるという数値的なことが最終的な目標にはなるのだろうけれど、今後どの規模まで事業を展開してどのように維持していくかという定性的な戦略というのも必要なわけだ。
目先の利益とスピード感のために外注に依存して、自社のノウハウが何もないということになったり、
コストを抑えるために採用を減らしたため、従業員の世代別のバランスが崩れたり、中間の最も戦力になる層が結果的に薄くなってしまったりということもある。
数値も大切だけれども、数値が目的化することは本来の目的を見失う危険性がある。