真面目であることは重要ではない

現代では真面目であることは価値のあることではない。
ここで言う真面目とは、辛さにも耐え滅私奉公するという事。
自分を殺して、全体に尽くすという事。

最近の若い会社では余暇を楽しんだり、仕事以外のことにも精力的であったりするほうが良いとされている。
だから、企業によっては大学では勉強だけしかしていなかった人よりも勉強以外のことをやっていた人を採用する傾向にある。
もっと、学生の本分である学問を疎かにすることはあってはならないが、大学の学問のこととか全く聞かないところもある。
もちろん、仕事中は誠実に仕事をする必要がある。
だがその仕事の中にも楽しんでやろうとする緩さを許している若い会社もある。

それとは逆に、真面目であることが重要であるとするところもある。
辛さにも耐え、休みも最小限にしてバリバリ働くことが重要という立場だ。
中には有休も取りづらく、休日もまず仕事第一に考えろという意識があるところも多い。
遊びばっかりやることはだめ。遊びは最小限であるべき。
ワークライフバランスという言葉があるが、仕事のための息抜きのための余暇であって、あくまで仕事が第一であるという考えだ。

後者の考えは、労働集約型の仕事であれば有効だったのかもしれない。
ルーチンワークを最大限の効率でやることは余計な動作を減らすことが重要だし、仕事中のサボりなどは許されない。
辛いことにも耐えるという事も、全体に尽くすという考えも、会社全体の利益が全員の安定の担保になったから有効だった。

だが現在はIT化され、機械化され労働集約型の仕事は減ってきた。
多くの仕事は独創性や想像力が求められている。
労働集約型の仕事であっても、現場の人にも企画力が求められている。

アイディアというのは真面目に机に向かったり、考えこんでも全く浮かんでこないときは来ないもの。
じゃあ別の仕事をやって気分転換にというのもそういうわけには行かない。
仕事をやっている限り、視野は狭くなってしまう。

仕事中に何かに行き詰まったら、ゲームをやる、音楽を聞く、散歩に出る、という事をすれば違った視点から見えることがあるかもしれない。
しかし、これらのことは真面目が重要という価値観を持つ人に取ってはサボっていると映る。
仕事中なのだから仕事をしなければならないと。

仕事と遊びはメリハリをつけてすることは確かに大切だ。
仕事中、給与をもらっているのに会社の利益をもたらさないことばかりをしていては不誠実である。
だが、人間の活動は仕事も遊びも境界線は曖昧なものだ。
仕事の中かでも楽しみを見つけ出せるように、遊びの中からも仕事で価値になりうるアイディアを見出すこともある。

つまり、真面目に仕事をしろいって仕事のことばかり考えていないで、
仕事の中にも遊びの視点を取り入れて余裕を持って働いたほうが、視野も広がって効率も良くなるだろう。

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