道徳の教科でイジメを無くそうというニュースを数日前に読んだ。
道徳教育でも、人権教育でもイジメは無くならないだろうと僕は思う。
学校で多くの生徒に教えるということは、授業の内容を抽象化や一般化しなければならないでしょ。
こういうことはやっちゃいけません。こういうことはイジメです。
というふうに教えられても、個人個人が自分の生活の出来事に当てはめられるか?
きっと、「ああ、イジメはダメだな。こんなのはやっちゃいけないんだ!」と思っている生徒が、
自分自身は酷いことをしている自覚なく他の生徒を虐げているということもある。
傍から見たら、典型的なイジメに見えていたとしてもイジメっ子当人たちは全く気づいていないというか、イジメだと無意識で認めていないようなことがある。
「だって、あの子はこんな悪いことしたし…」というように当人たちは正当な大義があってやっている事だと思っているフシがある。
例えば、強権的なイジメっ子がクラスにいたが、酷いことをされた数人がクーデターに成功し、旧政権派の生徒たちを虐げたというケースでは、
新しくイジメっ子になった人たちにしてみれば、「自分たちはイジメられていたし、他の子も酷いことされたから正しい事をしている!」と思ってしまうだろう。
イジメっ子にしてみたら些細な弄り芸のようなつもりでも、された側にしてみたら物凄く屈辱ということだってある。
価値観が違うからこういうことだって起きるでしょう。
「人のことを思って行動しましょう」という教育をしても、独善的に押し付けるタイプもいるし
良かれと思ってやったことがまずかったという事だってある。
人が大勢集まれば派閥もできるし、好き嫌いもでるし、諍いだって起きる。
イジメをなくせると思うのは楽観的すぎるとおもう。
僕はイジメ対策には仲裁機関みたいな仕組みを作るといいと思う。
道徳教育や人権教育も大切で、それらも教育に取り入れた上で
別にその仲裁する仕組みでイジメを個別に対策をしていく。
仲裁と言っても手を取り合って仲良くなりましょうなんて子供だましの仲直りごっこではない。
一種の民事裁判のような手続きを取って、客観的に判断してお互いに納得してもらうという。
遵法意識も若いうちから養えていいと思う。
あと、極めて悪質なイジメには刑事事件として捜査してもらいたい。
無くさなければならないという仕組みより、外に公表しなければならないという仕組みのほうが隠蔽も無くならないし
イジメられっ子も泣き寝入りをするだけではなくなるし、イジメっ子もおとなしくなると思う。
これで全部が無くなるわけではないが、追い詰められた生徒が自殺をして先生がそれを隠蔽するという悲劇は防げるだろう。