耐えることは偉い?僕は偉いとは思わない。

先日、ちょっと遅く出勤できる機会があったので朝の情報番組を見たんだ。

世の女性から体験談を投稿して、バナナマンの設楽がなんか面白いことをいうコーナーがあったんだけれど、
その中の投稿の一つに、毎日二時間旦那にマッサージを強要されるという話があった。
毎日旦那が仕事から帰ってくると二時間みっちりマッサージをしなければならなくて、
たとえ体調不良だとしても「ああ僕に疲れて死ねというのか」というような愚痴を言ってマッサージを休ませてくれないのだという。

その話をしたあとに、スタジオからは偉いと言う反応が、
そしてリアルタイムで番組に投稿されたレスポンスが画面下に表示されるのだがそこにも偉いという反応があった。

いや、偉いのかそれ?
たしかに不遇な状態であって同情はするけれど、正直な感想を言うとなぜそこまで旦那を付け上がらせておいたと思った。
実際にこの辛い状態の人に向かってこんな事は言えないけれど…
少なくとも偉いということはこの状態を解決するには最も不向きな言葉ではないか?

偉いといった人たちは耐えていることに対して賞賛しているのだろうけれど、ただ耐えていることって偉いのか?
偉いという言葉は慰めにはなると言う意見もあるだろうが、その状態を打開できないような慰みよりもっと旦那にガツンと言ってやる勇気を与えるような言葉のほうが彼女のためのような気もする。
もっとも、結論を求めない女性の会話からしたら僕の考えは赤点なのかもしれないが…

とはいえ、このように耐えていることを偉いとして問題を顕在化させないという事はよくある事なんだよね。
例えば度重なる残業、炎上案件、デスマーチ…それらに耐えて仕事をするサラリーマンたちは偉いと思う人もいるだろう。
だが実際の問題はこのような状態が続いていることなんだろうけれど、経営者や上司などからは日々奮闘してくれて感謝をしているみたいなことしか言われなかったり
苦労をしたことで成長をするとかそういう事を言って耐えることは善いことで辛いことは当たり前みたいな事にしてしまっている職場もあるだろう。

だが、実際そのような状態は偉くもない。
さっきの夫婦では夫婦関係は破綻していくだろうし、
仕事であれば余裕のない仕事は作業とかして、勉強などすることもできなくなってくる。
新しい技術や効率的な仕事からは程遠くなってしまう。

耐えることを偉いというな。
耐えなければならない状況を改善する人こそ偉い人だよ。
いや、耐えていることを偉いと言える状況もあるな。
それは状況の打開に希望を捨てずに前向きになっている人だな。

少なくともつらい状況を甘受しているだけの人は偉くはない。

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