役に立つことだけが価値のあるものではない

すぐには役に立たないことや、社会貢献度は低い事は必要ないものだと言う人がいる。
例えば宇宙研究、古典、純粋数学、文学、アニメ、漫画。
こんなことをやるならば経済を勉強したり資格を取ったりして社会貢献や就職に役に立つことをしろという大人がいる。
だが、僕はそれに疑問を感じる。

もちろん、即効性のある社会貢献性のある行動は素晴らしくそれを否定するつもりはない。
だが、それと同じように娯楽、純粋数学、僕らの生活に直結しないブラックホールの研究や古典の研究だって素晴らしいものだと思う。

人間は衣食住のみで生活できるわけではない。
大規模な文明社会を作るには、政治や経済が必要だ。
では衣食住政経で人間が生活できるのか?

まず政経ができる文明になるには効率の良い食料生産や建築技術などが必要で、さらに高度に分業化されていなければならない。
効率の良さを出すためには、怠けたいという魅力がないとならないだろう。
娯楽というものがあれば仕事にもハリが出て、更に楽をするために効率の良さを追求するのではないだろうか?
しかし分業化されている文明において仕事をしながら自分でできる娯楽というものは限られてくる。
娯楽のための職業というのも必要となってくる。
さらにそれらは経済を牽引する力にもなる。
では衣食住政経娯で人間は生活できるのか?

さらに文明には発明や発見が重要だ。
多くの発明や発見は最初から役に立つことを見越して考えられたわけではない。
前にも書いたことがあるけれど、素数の性質は古くから研究されているがそれが実用化されたことはいままでなかったが、今日情報通信の暗号化技術で重要な役割を担っている。
物体が光の速さに近づくと時間が遅くなるという事で有名な相対性理論だが、その理論は原子力で応用されているし、現在GPSでも時間の補正で使われている。
古代ギリシャで単なるおもちゃとして登場した蒸気機関は産業革命を牽引し、今日の工業化された社会を実現した。
古代ギリシャ時代には地球の大きさや太陽までの距離を測量する事をやっていたが、当時は全く必要なかっただろう。
でも今日では地球規模の事業はあるし、なによりも当時の測量術や数学の基礎が今日の文明社会を作っている。
このように当初は必要ではなさそうだけれども探求する心は発明の基礎になるし、今後の発明家にヒントを与えることになる。

衣食住政経娯探が少なくとも文明を形成するに必要なことではないかと思う。
もちろんそれだけで人間社会が回るわけではなく実際はもっと複雑だろう。
また、ここで必要なことをいくつか上げたが、それに無い物は不必要というわけではない。
何が必要かどうか役に立つかどうかという単純なことではなく、どんなものも求める人がいる限り何かのためになるのだと思う。

で、面白いことにこれらは相互に影響をおよぼすということだ。
娯楽であった文学が、政治を動かしたり倒したりすることがある。
衣食住など生命に根本的なことだけれども、デザイン性などが出てきて娯楽化したり、建築デザインが思想となりそれが政治や経済に影響をあたえることや、建築技術から深い自然科学への探求に向かったりするわけだ。

もちろん、貢献性のある行動はいいことだけれども
それだけでは人間生きていけない。
役に立たないと言われていることは、実際には何かの役に立っているのだ。
その貢献度は目に見えづらいだけで広く見ればそれは誰かがやらなければならないことなんだと思う。

 

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