以前書いたエントリーに検索エンジン経由で人がよく来る。
そうか、新しい学年が始まって、学校で身体測定をやっているのだね。
で、言いたいことはその前の記事とは変わらないけれど、
測定前に食事制限して数値だけ痩せたようにするのはナンセンスだと思う。
つま先立ちして身長を図るようなもので、現状をごまかしているに過ぎない。
粉飾だよ。
前の記事では、数値ばかり気にて目的化していると指摘した。
この数値というのは麻薬のように現実を直視させなくする効果もあるとおもう。
数値というのは、客観的な物差しで分かりやすく平等で公平だと思われているが、
扱いによっては平等さも公平さもなくなってしまうことがある。
日系パワハラさんがこんなマンガを描いていたが、極端な例を上げればこういうことだ。
上司から「我が社の顧客満足度が低い訳が無い!」と無慈悲に怒鳴られた場合の対処法
意図的に自分に不都合なものは隠したり、勝手な解釈で統計に色をつけたり、
公平な基準で測定しているものに不確定な要素を入れて偏らせたり、
そういうことをやると計算された数値は客観的な物差しでなくなってしまう。
で、もっとも怖いことは数値が良かったから安心してしまうことである。
顧客満足度の数値(だけ)が良かったから安心(でも本当は隠された不満がある。)
バグの回収率の数値(だけ)は達成だ(けれど隠蔽されたバグが沢山残っている。)
ブログの訪問者数(だけ)は増えた。(けれどスパムで増やしただけなので、読者は居ない。)
体重の数値(だけ)は痩せている(だけれども数日後にはまた元に戻る。)
このように問題の本質が隠蔽されたけれど、安心してしまうと危機感を持って対処しなければならないことを見逃してしまう。
本来客観的な指標であるはずの数値が、ただ自分を慰めるだけの意味のない物になってしまう。
前のエントリーでも書いたけれど、
どうあるべきかというビジョンがしっかり決めて、その上で数値を計らなければ意味はない。
もしダイエットをしたいのならば、どのようなスタイルにいつまでになるかの目標を掲げ、
その上で一ヶ月など一定期間ごとの目標体重を決めるべきだ。
身体測定で姑息な手段で体重を減らしても、自分を安心させるだけで無意味か害があるかのどちらかでしかない。