何かに失敗したら、先輩などに「分からなかったら質問してって言ったでしょ!」と言われることがあると思う。
失敗をする前でも、「これは違うのかもしれない…」と疑問を感じ質問をしたら
「分からなかったらもっと早く質問してよ!」と言われることもある。
これはかなり理不尽な言葉だといつも思っている。
このようなことを言われる場合、仕事などをやったときには全く何の疑問も抱かず、これが正しいやり方だと確信してやっているのではないか?
もっと早く質問しようにも、その当時は疑問もなかったし、
早めに質問をしようとしても漠然としたことしか尋ねられないだろう。
また、少しは疑問に思っていてもこの程度ならば質問するまでもないと思っていたという事もある。
質問するまで無いと勝手に思わず何でも質問しろと言われるかもしれないが、
新人は右も左も分からなく、小さい疑問は常に沢山浮かんでいるが
それを一つ一つ質問していたら日が暮れてしまうほどになってしまうだろう。
とりあえずやってみれば分かるだろうとか、そう思ってしまうかもしれない。
そのほとんどの小さい疑問は全く意味のないものだったかもしれないが、たまたま一つが重大なことだったかもしれない。
作業に慣れていない人というのは、とにかく沢山の疑問がある。
それらは経験が足りてない故に疑問は体系的に認知されないし、漠然とした疑問があるが何が疑問かもわからない状態であったり、
小さすぎる疑問が無数にあってもそれらが認知されること無く自分の考えた事が正しいと思ったりする。
つまり、「分からなかったら質問しろ」と言われても、
分からなかったから失敗したんだよ!
「分からなかったら質問をしろ」と言われたら、次からは質問をしなければならなくなるが、
その判断基準が未熟ゆえ何を質問していいかわからない。
そして勝手に作業を進めれば叱責されるかもしれないという思いから萎縮してしまう。
失敗を恐れるがために、成功を目指すより失敗を回避する人になってしまう。
何よりもまず失敗に寛容であること。
教えることは作業手順やテクニック的なことだけでなく、
判断基準や俯瞰的なことを感じ取れるようにして疑問を疑問に感じさせるようにすることがまず最初に必要なんではないかとおもう。